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【022】親孝行は、自分を大切にするためのものでもあった

誰の言葉だったか覚えていないのですが、好きな言葉が、
「子供は3歳までに一生分の親孝行を済ませている」

 子育ては精神的にも肉体的にも苦労が多いし、しんどいことも多いんだけれど、子供のいる生活から得られる喜びや感動は毎日の生活を豊かにしてくれる。だから、子供が3歳になるまでに、親が子供から受け取ってる価値は一生分の親孝行に相当するんだよ、という意味です。

 3歳を過ぎても、将来の夢語りで「将来はお金をためてママを海外旅行に連れてってあげる。ピザ食いまくったりさせてあげる!」という言葉をもらったことや、キッズケータイから「ママの好きな10円まんじゅう買っておいたからね」という写真付きメールが仕事中に届いて癒されたり…と、キリがないのでやめときますが。

 なので「仕事も子育ても大変でしょ」言われますが、子育てから得られる恵みを享受できるうえに、仕事までできるんだから実は相殺すると「+」、という実感でした。

 一方で、「子としての自分」を振り返ってみると、3歳までに親孝行をした実感はありません。子供の頃の自分も同じような価値ある経験を親にはさせたに違いないと信じたいけれど、物心ついてからはあまり家族のために心を砕くことはないまま成人しました。母親が女手一つで3人の子供を育てることの大変さも、自分が母親になってみて改めて身に染みたり。大人になってから理解ができたこともたくさんあります。

 …ということが心の中にあったので、38歳の時に母親を海外旅行に連れて行きました。旅好きな自分はいくつか海外旅行も経験していたのですが、母親はパスポートも持っていない。私の海外旅行のみやげ話をいつも異世界のことのように聞いている姿をみて、いつも少しだけ申し訳ない気がしていました。

ちなみに我が家に経済的余裕はなかったので、3年ほどJTBの積み立てを自動引き落としにして、強制的に貯めました。選択したのは「ザ・海外旅行」、お正月のハワイです。

結果として、その後にも母親には海外旅行の機会がなく、今では体力的にも海外旅行に簡単に行けない年齢になってしまったので、あの時に連れていってよかったなと思っています。

息子が生まれてから、特に自分は一人親なので「もし自分が明日死んだら?」という問い向き合うようになりました。親の庇護を必要としない年齢に育つまでは自分の人生で最も死が(事故や病気が)怖いと感じていた時期です。明日死ぬなら何をやっておくべきか…未来へのリスクとあわせて、おのずと人生の棚卸もすることにもなりました。そうして棚からおろした荷の一つが、親を海外旅行に連れて行くことでした。

たまたま、私の「荷をおろす」行為のひとつが親孝行だったのですが、これは誰かのためにすることではなく、自分を大切にする行為に他ならないと考とらえています。ある意味、自己満足行為だし、、でも、それで親が喜んでくれるなら尚よいと思うのです。

自分を大切にするために荷をおろす、おすすめです。

写真=ハワイと見せかけて実は南仏ニースのビーチ写真です(2019年6月撮影byじぶん)

PS.万が一これを自分の息子が読んだとして。
「自分も、母親に何かしてあげなければ」という気持ちになるという誤解をしないことを願います。そんな暇があったら、自分のやりたいことをやって、人生楽しんでいることを見せてくれればOK。

まあ、読みはしないと思うけど


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