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社会情勢の変化と科学教育改革の歴史

本記事は Science Education Book Club in Japan の活動の一環として、オンライン読書会で読んだ本の内容と、参加者による議論をまとめたものです。今回,私が担当したのは「Values in Science Education : The Shifting Sands」という本のChapter.11「Intended, Achieved and Unachieved Values of Science Education: A Historical Review」です。この章では、第二次世界大戦後の欧米の社会情勢の変化と科学教育改革の歴史がまとめられています。

社会情勢と科学教育の変化

社会情勢の大きな変化は、学校教育への要求の変化につながることがあります。一般的に、社会からの要求が高まり科学教育への期待が変化した場合、専門家(自然科学・教育学・社会学の研究者、教師など)のワーキンググループが立ち上がり、科学教育改革が議論されます。そして、議論の結果は政府に提案され、様々な教育政策に反映されます。

では、これまでの歴史の中で社会情勢の変化と科学教育改革はどのように結びついてきたのでしょうか。本章の流れに従って、戦後の歴史を5つの時期に分けて見ていきましょう。なお、対象章では欧米の話しか扱われていなかったので、内容の整理に当たり私の方で、その当時の日本の状況を加筆しました。欧米の話は本章に記載の内容、日本の話は私が加筆した内容であるとご承知おきください。

1950~70年代:より多くの科学者育成

1945年に第二次世界大戦が終結した後、戦争と不況の影響で欧米の高等教育の科学教育は崩壊状態にありました。しかし、第二次世界大戦を通して、科学(特に物理学)の重要性が強く認識され(cf. マンハッタン計画)、より多くの科学者を育成する需要が発生しました。このような需要を受けて、大学では古典的な内容にとどまっていた科学教育の内容を現代化し、科学者の育成に力を入れ始めました

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1950年代に入り、冷戦が勃発すると、科学者需要はさらに高まっていきました。1959年には、ロシアが無人人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、アメリカに強い衝撃を与えました(cf. スプートニクショック)。このような切迫感から、アメリカでは科学教育改革に膨大な予算が付き、科学者と教師の連携の下、学校における科学教育のテキストや教材開発が進みました。同年9月、マサチューセッツ州のウッズ・ホールに全米科学アカデミーの呼びかけで34人の科学者、研究者、教師が集まり、アメリカにおける科学教育の改善について10日間の会議が行われました。ウッズホール会議と呼ばれるこの会議の座長は、ハーバード大学の認知心理学者であった J. S. Brunerでした。会議では、ブルーナーの主導の下、これまでの経験主義に代わり、科学の系統性を重視して基本的な概念や原理を学ぶことが提唱されました。また、自然科学の本質的な構造を学習者自身で発見していくことも重視されました。この会議の報告書は”The Process of Education”(邦題:教育の過程)という本にまとまっています。

このような改革は、1960年代の教育現場でも上手く受け入れられたと評価されています。その理由として、本章の著者は3つの理由を挙げています。
 1.全米科学アカデミーの権威的後押し
 2.質の高いテキストや教師用指導書の出現
   (e.g., PSSC物理カリキュラム
 3.大学の研究者の関わりの影響

上記の理由から、教育現場でも改革が進んでいくことになります。ただし、初期のプロジェクトの多くは、大学で科学研究の道に進む可能性のある少数の学生を対象にしていたことには注意が必要です。

そのころ日本では・・・
●1958~60年の学習指導要領改訂:
科学技術教育の向上(理科:小628時間、中420時間)
●1968~70年の学習指導要領改訂:
教育内容の現代化(理科:小628時間、中420時間)
*高度経済成長と相まって国の理工系拡充政策が始まり、昭和32年~35 年の理工系学生が8000人増募計画、昭和36年~38年の2万人増募計画

1980年代:万人のための科学

1980年代に入ると、テクノロジーの発達と経済への影響が強くなってきました(e.g., PC,インターネット)。科学技術の影響が個人レベルでも感じられる時代の到来です。他方、科学技術には正の側面だけでなく、環境や健康へのネガティブな側面もあることが認識され始めもしました。

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この時代になると欧米では経済が好転し、多くの人が中等教育で科学を学ぶようになります。そこで、科学者育成のみならず、万人のための科学(Science for All)教育を行う必要性が出てきました。万人のための科学では、多くの国民が科学技術についてある程度理解しておく必要性があるという考えの下、日常生活と科学技術のつながりを重視した科学教育が展開されました。将来科学者にならない人向けに、基礎的なカリキュラムが検討・開発されたわけです。例えば、オランダのPLOSプロジェクトでは、物理学の内容が実生活の身近な科学技術に関連づけて扱われており、内容を理解しやすいよう工夫されていました(Eijkelhof & Kortland, 1988)。

この時代の政府は改革に重い腰を上げようとしませんでしたが、専門家と教師が民間の資金援助を受けながら自主的に改革を進めていきました。この時代の特徴的な運動に、科学・技術・社会(STS)教育運動があります。科学技術の普及や環境問題の広がりを受けて、科学技術関連の諸問題(STS問題)に関して、個人が意志決定や価値形成を行うための科学技術的リテラシーを育てることが目指されました。

科学的リテラシーという考え方が登場したのもこの時代の特徴です。それまで言語と計算の学力にしか与えられなかったリテラシーの地位を科学が得たということは、社会の中で科学の重要性がそれほどまで高まったということを表しています。

そのころ日本では・・・
*バブル絶頂期で、研究への投資も多く行われていました。
●1977~78年の学習指導要領改訂:
学習負担の適正化(理科:小558時間、中250時間) 

1990年代後半~:社会的要請の再検討

1990年代後半以降、社会における科学技術の重要性はますます増大し、すべての人が科学技術に関する話題に対応できる知識を学ぶ需要が生じました。DVDやMP3プレーヤーが登場し、インターネット回線やモバイル通信網が普及するとともに、Amazon、eBay、アリババといったサービスが開始されました。また、クローン羊ドリーが話題になるなど、生命科学の発展に注目が集まりました。

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この年代の科学教育は、「科学者養成の専門的内容+すべての人のための科学」という枠組みを維持しつつ、日常生活と科学技術のつながりをより強調する方向性で改善が進みました。科学技術が高度化し理解が難しいものになる中で、学習者が内容に興味を持てるよう工夫することが求められました。例えば、イギリスの”Beyond 2000 Science Education for the Future”では、以下のような指導の重要性が指摘されています(Millar & Osborne, 1998)。
 1.すべての人が興味を持てる内容を扱う
 2.低学年では、自然環境への好奇心を養う
 3.高学年では、科学の探究や認識論についての理解
 4.物語形式の採用

そのころ日本では・・・
●1989年の学習指導要領改訂:
個性尊重と新しい学力観 (理科:小420時間、中315-350時間) 
*自ら学ぶ意欲や思考・判断・表現力の育成へ

2000年代:国家カリキュラムの要求

2000年代に入ると、OECDの実施するPISA調査やIEAの実施するTIMSS調査といった国際調査の結果が、社会の注目を集めるようになりました。ランキングの順位は報道され、国家間の順位が数値で現れるようになったわけです。それまで、欧米の多くの国では学校教育の内容を自治体ごとに決められる自由度がありました。しかし、このような国家間の競争圧から、国家の統一的なカリキュラムやスタンダードを要求する声が高まってきました。

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オーストラリアでは2008年にナショナルカリキュラムが制定され、アメリカでは2013年に“Next Generation Science Standards”が制定されました。このように、世界各国で国家カリキュラムを制定する動きが進んでいます。

そのころ日本では・・・
●1998~99年の学習指導要領改訂:
自ら学び自ら考える力など「生きる力」の育成 (理科:小350時間、中290時間) 
*いわゆる、ゆとり教育へ

2000年代後半~:21世紀型労働力

2000年代後半以降、グローバル社会が加速するとともに、STEM(Science, Technology, Engineering and Mathematics)分野の人材が必要という社会からの要求が高まってきました。そして、STEM 分野への進学への学生の関心を高めることが課題となってきました。

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このような職業ニーズの変化に影響を受けて、科学教育の目標も以下のように多様化しました。
 ・科学技術の問題解決に関連した内容知識
 ・問題解決、創造性、メタ認知、批判的思考、高次思考スキル
 ・個別的・協働的な作業の実践

STEM教育の促進には世界中で多くの資金が提供されている一方、将来的に理系職業の需要は本当に増えるのか、教育内容よりも理系に対するネガティブなイメージが課題ではないのかといった批判も存在します(Ritchie, 2018)。

そのころ日本では・・・
●2008~09年の学習指導要領改訂:
生きる力の育成 言語活動の充実 (理科:小405時間、中385時間) 
*脱ゆとり教育へ

一貫して残る課題

ここまで、第二次世界大戦後の社会情勢の変化と科学教育改革を見てきました。これらの改革には一貫して残り続ける課題が存在します。それは、改革において新しい教育の価値観が示されても、それを学校現場で反映させることは容易でないということです。新しい価値観を教師が理解し、カリキュラムや教材を開発し、実践をより良いものにするのは常に困難が伴います。また、学校種ごとの課題も存在し、小学校教員にとっての困難は理科が苦手な人が多いということ、中学校教員にとっての困難は生徒の意欲を引き出すのが苦手な人が多いということで一貫しています。これらの課題は、今なお科学教育改革に残り続ける大きな課題です。

進むべき方向性

最後に、本章の著者が提案する科学教育改革の進むべき方向性の提案を紹介して終わります。

・政府の教育当局は、科学教育コミュニティとの連携を構築せよ
・大学の教育学部が理工学部のスタッフと連携して、教員志望者が大学で価値のある科学を学べるようにするべき
・科学者と教師、教育研究者と教師の連携に資金を提供せよ
新しい価値観を評価できる方法を開発する必要がある
・あらゆる価値観を同時に達成することは困難なので、強調点を絞って指導すると良いのではないか

日本の科学教育改革においても、これらの改革の視点は有用だと考えられます。

Acknowledgement

この記事の草稿に有益なコメントくださった、雲財寛さん西内舞さんとその他の方々に感謝します。

Reference

Eijkelhof, H. M. C., & Kortland, K. (1988). Broadening the aims of physics education. In P. J. Fensham (Ed.), Developments and dilemmas in science education (pp. 282–305). London: Falmer.
Kidman G., Fensham P. (2020). Intended, Achieved and Unachieved Values of Science Education: A Historical Review. In: Corrigan D., Buntting C., Fitzgerald A., Jones A. (Eds.) Values in Science Education. Springer, Cham. https://doi.org/10.1007/978-3-030-42172-4_11
Millar, R., & Osborne, J. (1998). Beyond 2000: Science for the future. London: King’s College, School of Education.
文部科学省(2011)「学習指導要領の変遷」Retrived from https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/__icsFiles/afieldfile/2011/04/14/1303377_1_1.pdf
Ritchie, S. M. (2018). STEM education. In D. Bradley (Ed.), Oxford research encyclopedia of education. New York: Oxford University.


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