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書道ワークショップを作っていたら、習っていたおじいちゃん先生を思い出して涙した話。



あなたにとって書道の思い出はありますか?

書道は、筆・墨・紙の三点セットで行われ、筆で紙に墨を付けて文字を書きます。
墨の濃淡や筆の強弱など、細かい技術を磨き上げていくことで、文字に美しさや深みを与えます。
書道は、その美しさだけでなく、心を鍛える修行の役割も持っています。

本「教養としての書道」より


小学校での書き初め、硬筆の授業など、いろんなところで、書道や書また文字と言うものに向き合ったことがあるのではないでしょうか?

私は小さい頃、書道教室が好きでした。

書道も好きだったけど、先生も教室も一緒に行き帰りする友達も好きでした。

ピアノもバレエも習ったけど、先生が怖くってしかも全然好きになれなくて続きませんでした。

唯一続いた習い事が書道でした。

今日はそんな私が好きだった、90歳越えの書道教室のユニークなおじいちゃん先生の話を紹介します。

私は小学校1年生から中学校2年生まで硬筆と毛筆を習っていました。

習っていたのは町のおじいちゃん。

町のおじいちゃんと言っても、私は香川県の小豆島という離島の出身です。

今は観光地化された、「迷路の街」と名のつく、一度入ると出てこれない迷路のような町の中にある書道教室。

御年90歳を超える、本当に”おじいちゃん”の先生でした。

もともと小学校で校長先生として還暦を迎えた後に書道教室を始めたみたい。

それまで90歳を超える人と接したことがなかった小学生の私。

私はおじいちゃん先生をそれはそれはもの珍しく感じていました。

まるで異星人かのように。

まず腰がめちゃくちゃ曲がっていた!

歩くのもやっとなほどでした。

そして、いつもおじいちゃん先生は「よろしい」と、子供の書いた作品に書いてくれるが、その字が長かったり短かったりしました。

小3のときの私の作品

気分なのか?それとも適当なのかわからない。

そしてたまに何かを噛みながら書道教室をしている。

ずーっと10分以上噛んでいて、なんだろう?って思っていると、みかんだったり茄子の漬物だったり。

それを歯のない歯で噛んでいる。

子どもを叱る時は、「ぱぴぷぺぽ!」と言って、怒っているのかなんなのか…

だから子どもは全然言うことを聞きません。

でも先生は怒りはするものの、それも受け入れている感じでした。

おじいちゃん先生はとにかくトイレに行くのもやっと。

そしてトイレに行くと10分は帰ってこない。

子どもにとって10分は永遠。

作品を添削してもらうのに列に並ぶのだが、その最中も「トイレに行かないでくれ!」と毎回全力で願っていました。

トイレに行こうもんなら、はずれくじを引いたようにがっかりした気分に。

でも字はめちゃくちゃうまかった。

たまに手を持ってくれて書いたらそれはそれは上手く書けるし、同じ筆で書いたの?って思うくらい字がうまかった。

だからヘンテコリンに見えてた先生だったけど、尊敬していました。

通っていた書道教室の月刊誌。


おじいちゃん先生の奥さん、つまりおばあちゃん先生もいました。

おばあちゃん先生は書道は教えません。

子供たちにいつも挨拶をしたり様子を見守ってくれたりする先生。

おばあちゃん先生も足腰が痛く、体中にサロンパスを貼っていて、それはそれはサロンパス臭かったです。


私は水曜日になると、友達を誘って書道教室に行っていました。

いつも一緒に通っていたのは5人。

みんな近所に住む友達。

学校から近い順に順に友達の家により、制服から着替え(私の地元の小学校は制服なのだ)

子供の足で15分ぐらいしかかからないところを1時間以上かけて、書道教室にたどり着いていました。

行きながら友達家でおやつをもらったり、友達の弟と喧嘩をしたり、近所のお寺でお寺の鐘をついて怒られたり。

書道教室には行くだけじゃなくて、行き帰りの楽しみもたくさんありましま。

書道をしている時間よりも、行った行き帰りの時間の方が楽しみだったし、書道教室は今で言うサードプレイスだったのかもしれません。


だから上手くなった。記録では準6段。


中学生になり忙しくても書道教室に通っていました。


そんな私だったが、その頃おじいちゃん先生の調子が悪くなり、

行ってもおじいちゃん先生がいなかったり、また「今度来てね」とおばあちゃん先生に言われたりする日々が続きました。

あぁおじいちゃん先生にもう会えなくなってしまうかもしれない。

好きだった、書道がもう続けられなくなるかも。

自分の中の1つの区切りが迎えられるような気がしていました。

それは喪失感と、あったものがなくなる寂しさでもありました。

そして、月日はたち高校生になり、おじいちゃん先生は天に召されたという噂を聞きました?

御年96歳。大往生だ。

今も実家に帰省したら、おじいちゃん先生の家の前を通ることがあります。

そこには自由で楽しかった幼き頃の思い出がたくさん残っています。

墨だらけで白いホーローが見えなくなっていた手洗い場。

座布団が並んだ机。

添削に並んだ時に見える窓からの景色。

おじいちゃん先生がトイレに行く後ろ姿。

墨の匂いと先生の「よろしい」の文字。

どれも今でもすぐに思い出せるものばかり。

おじいちゃん先生がいたから、私は書道が好きになりました。

そして大きくなり、中学の国語の先生となり、書道を教えるように。

さらに先生を辞めてフリーランスになっても、書道のワークショップをしています。

私の人生の中心には、いつだって書道がありました。

それは間違いなく、おじいちゃん先生がいてくれたから。

おじいちゃん先生は私の母校で最後校長先生をされていました。

その時に母校に残した書がありました。

もう母校はなくなったけれど、最後閉校イベントの時に撮ったこちら。

これはおじいちゃん先生からのメッセージだ。

おじいちゃん先生の字。うますぎる。

さぁあなたの小さい頃、好きだったことを思い出してみてください。

きっとそこにはあなたの源泉があり、今の人生を彩る種があるはず。

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