【15,000字超】いかにして教員からフリーランスになったのかをすべて公開します。
私は10年以上香川と千葉で中学校の教員として正規で働いてきた、元教員ママフリーランスです。
今では海外旅行やキャンプ、平日どこで働いてもOKというオンラインでほぼ完結する仕事をしていますが、
2019年からフルタイムでの不妊治療、2020年から教員の働き方にモヤモヤがあり転職活動を経験。40社以上受けるも失敗。
さらに教員のキャリアについて考えたくて座談会やブログを書くも、副業が認められず断念。
さらに、2021年妊娠中の体調不良をきっかけに、休職。完全にキャリアの方向性に悩み、苦しい期間がありました。
その後、コーチングやカウンセリングと出会い、2022年に産後9ヶ月で国家資格をとって2023年に独立。
現在東京都江戸川区で2歳の息子と夫の3人暮らしをしています。
私はこれまでママや先生のキャリアの相談を、のべ100名近くいただき、180回以上相談に乗ってまいりました。
これまでご相談いただいた中でお答えしてきたことをすべて包み隠さず、すべてを洗いざらいまとめた記事となります。
「学校の先生のための、新しいキャリアの選択肢の一つ」として私の経験がどなたかの参考になれば嬉しいです。
本記事は以下の内容について書いています。
このnoteはこんな方に向けて書いています。
このnoteを読むとこんなことが明らかになります。
こんな方にはもしかしたらこの記事は合わないかもしれません。
①教員をやめた私の今の生活
仕事内容
現在はEnoar(エノア)という屋号で事業を行っております。
オンラインでの子育て世代向けのコーチング業と、書道で人生の片付けをするワークショップです。
また学校の先生向けのキャリア講座や、1人ビジネスの方向けのビジネスサポートのお仕事を生業にしています。
平日のリアルタイムスケジュール
土日のリアルタイムスケジュール
土日はコーチングを多くいただくことが多いので、合間をぬってお仕事しています。
だいたい多くて土日合わせて5~7時間程度の稼働時間です。
(土日の部活動とだいたい同じかもしれませんね)
あとは息子や家族と一緒にお出かけしたりしています。
正直完全休みというのはなく、どうしても体調が悪いときに休むという働き方です。
ただ家族の用事で、キャンプや旅行に行くときは仕事はお休みをいただいています。
労働時間の所感
メリハリがつけられる働き方だなと思っています。
また楽しみながら、遊びのように働けている感じもあります。
例えば平日ランチに行ったり、温泉でワーケーションしたりと教員時代より働き方はかなり自由です。
ただ仕事とプライベートの境がなく、成果報酬型の働き方なので、ずっと24時間仕事のことを考えてしまうこともあります。
でも考える内容は仕事の悩みというより、「次こんなことやりたい!」「これやろう!」といったアイディアやタスクだったりします。
私にはこの働き方が合っている(orこの働き方しかできないかも)と今は思っているので、ぶっちゃけ働きすぎている実感はあんまりないかもしれません。
むしろ事業を軌道にのせるには、もっと時間がほしいと思いますし、「もっとやりたい」からやっているといった感じです。
ただ家族全体のバランスを考えると、今は9:00~17:30の保育園の時間の間に働いているといった感じです。
これはきっと子どもの成長に合わせて労働時間は変わっていくと思うので、今は焦る気持ちも正直ありますが、
「自分のできる範囲・コントロールできることのみに集中する」ということを意識しています。
②教員から〜独立まで:私のキャリアの歩み
なぜ教員になったのか
ずっと夢のない学生時代だったのですが、大学時代に家庭教師のアルバイトをしていたときのこと。
勉強が苦手な中学生に勉強を教えてできるようになると、自信に満ち溢れていく姿を何度も見てきました。
一人ひとりをもっとサポートして、成長に寄り添う瞬間が見たい。そういうことが増えると、日本がもっと良くなるかも。
そんな気持ちで教員の門戸をたたきました。
10年間でどんなキャリアを歩んだか
こんなお仕事をしてきました。合計香川、千葉をあわせて3校を経験しました。
もともと11年のキャリアの中で、香川県で6年、結婚して東京にやってきて千葉県で5年中学校で働いていました。
【教員時代】2012年〜2018年:香川での独身時代
学級担任としてクラスの行事になると誰よりも燃えるし、熱くなる。
授業を教えるのも好きで、国語の授業を色々と工夫して作っていました。
また部活動も独身時代は強い部活動だったので、毎週遠征に四国内を駆け回って…という生活。
独身時代はこれで良かったし、満足していました。
今思うと子どもにも同僚にも恵まれ、悩みはありつつも楽しい教員生活でした。
でも結婚するとなると、子どもが生まれたら…
そんな思いが頭の片隅をよぎりつつも、結婚しても好きなこの仕事を続けていくんだろうなと思っていました。
【教員時代】2018年:結婚して特別支援学級への道へ
結婚と共に上京。新しい環境での生活が始まり、職場環境も大きく変わりました。
特別支援学級の免許を上京時に取得したので、それを活かして通常学級から特別支援学級の担任に異動してやりがいをもって働いていました。
(一般会社員だと社内ジョブチェンジのようなイメージ)
学校の中で支援が必要な障がいを抱えていたり、家庭的に困難さのある生徒や保護者の支援方法を担任の先生と一緒に考えたりするような、学校全体に関わる仕事をさせていただいたりもしていました。(特別支援コーディネーター)
【教員時代】2020~2021年:キャリア迷子になる
不妊治療をしていた2020年、やってきたのがコロナによる臨時休校でした。
不妊治療とフルタイムの教員の生活の両立の難しさ。業務量の調整をお願いしながらも、満足に働けない自分に嫌気が指したり…
またコロナ禍で先行きのもてない不安、自分のやりたいことや持ち味が活かせない気持ち。
いろんなものが相まって、2020年夏転職活動をはじめたのでした。
未経験、しかもコロナでの採用差し控えが起きていた時期なこともあり、40社以上受けるも、どこも思うような仕事と出会えず断念しました。
ただ転職活動の副産物がありました。それは「一人ひとりと、もっとじっくり向き合える仕事に就きたい」という思いを再確認したことです。
一旦断念した転職活動したのですが、現職の教員として一時中断していた不妊治療の再開を決め、ありがたくも妊娠することができました。
【教員時代】2021年3月:妊娠するも体調不良に
※体調不良などの内容が出てきます。体調が万全な状態のときにお読みください。
喜ばしいはずの妊娠。不妊治療が始まって2年ほどが経っていました。
妊娠すると同時に、つわりで体調不良に。寝たきりの状態がしばらく続きました。
仕事をお休みさせていただいていた私は、「なんとかして復帰しないと」と点滴をうちながら仕事に通っていたこともありました。
1ヶ月ほどお休みをいただき、復帰するも寝たきり生活が長かった私は体力が戻ることはありませんでした。
特に体力のいる特別支援学級のお仕事。日々立っているのもやっとの私はお休みしたり、休憩をいただいたりしながらなんとか仕事をしていました。
【独立準備期間】2021年5月〜7月:休職して独立を決める
復帰して2週間ほどが経つものの、全く動ける目処が立たない毎日。
気づくと朝起きても仕事に行けないという日々が続きました。
いよいよ3日ほど経ち、朝起きても辛い、仕事に行く気も起きない、なんだか憂鬱だ…という日が続きました。
朝起きても外が晴れているだけで幸せだった私が、毎日辛くて放っておいても涙が出る日々。
そのことに気づいた夫と一緒に心療内科に通い休職させていただくことになりました。
そこで出会ったのが、カウンセリングというお仕事でした。
毎週通いながら「なぜ体調不良になったのか、今何が辛いのか」を一緒に考えていく時間。
少しずつ気持ちが癒やされていくのを感じました。
私がやりたかった「私がやりたかった1対1の個別サポートってこれかも!!」とピンと来た私はカウンセリングといったことを調べはじめます。
<以下を読んでくださった方のご感想>
りかちゃんの真心こもった記事から あったかさを受け取ったし、 決意とか信念とか 強さも感じたよ〜 何か新しいことを始めたり 辞めたりすることって本当に勇気がいることだなぁ、って今やり始めて私も思っているところ りかちゃんの存在やりかちゃんの奮闘は私にとってもすごく励みになるし、負けてらんないなー!!って思う!(30代女性・元学校の先生)
読ませていただきました♡
ありがとうございます!内容が濃い濃い!
人生たくさん悩んで行動したからこそのりかちゃんの言葉があって、しみじみ努力の人だなぁと実感。(30代女性・学校の先生)
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