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日記(ワイ、反抗期を知らない)

こんばんは、反抗期を迎えずに20歳になっていました。

みんなの思う反抗期、辞書で引いたら出てくるような反抗期ってもう今の世代の子らには来ませんよきっと。
たぶん俺の世代の人ないしはその1個上くらいはもう先駆けですわな。

もう中学生の時からスマホ持ち始めるような子たちなんて愚痴はSNSに書くし、文字で起こした時のその言葉の汚さに失望してスマホのキーボードの右上を連打(左フリック)するはずです。

おれはスマホを持つのが周りより遅くてそういう経験はまありなかったけど、親への不満は人並みに持っていたはず、でも俺には反抗期が来なかった。

理由がある。
親が反抗期の子供を経験済みということだった。

俺には年上の家族がいたから(プライバシー保護で性別不詳にしているけど、そしたら複雑な家系みたいになった。全くそうではない。(ここの文が長いと数的処理と言っていいほど読みづらい文になる。『人間失格』も同じ感じだった気がする。))、年上の家族が先に反抗期を迎えた。そして反抗期デッキの1枚目、攻撃力に全振りしただけのカード「クソババア」を使った。流石の俺も「ついに言った」と思ったら、親が

「はははは〜!ついに言った〜!!」

と、俺と全く同じことを言った。だけど親にしか分からないし、親にならないと理解できない意味も入ってたと思う。その現場に居合わせた俺は母と目が合い、「ねえ言ったよね!?クソババアって言ったよね!?」みたいな顔でいた。
なんて思って欲しいかったんだよ。

長くなったが、つまり俺は反抗期の発症の現場にいて、反抗期を迎えると「反抗期キター!」と思われてしまう ということを理解し、思うツボにハマってやるもんかと思って反抗期を迎えなかった。思うツボにハマってやるもんか って今思ったけどそれは反抗だろ。

ただ反抗期を迎えなかった代償として、親との距離の詰め方を難しく感じている。
熱いうちに打った鉄が鋼のように固い親子仲を作れると言うのなら、俺は触れるくらいの温さの状態のまま鉄を打とうとして、ナマクラになってしまった。
反抗しなかったものの抵抗は少ししていた自負があるので、「抵抗期」を迎えてしまっていたのかもしれない。

親はそんな息子を一人暮らしすることまで許して、ある程度の自由を提供してくれている。そんな親を尊敬しないわけなく、感謝の気持ちも感じまくっている。
その気持ちが大きすぎるのか、LINEの会話は7割くらいは敬語だし、その状態を変えようとも思ったことがない。けれどその話をするとみんな不思議がる。別に不思議なことじゃないのに。

なんか親に敬語って中国の家族みたい。儒教むき出しでいいと思う。みんな親には感謝だけでなく尊敬した方がいいと思う。

将来、自分の子供が自発的に尊敬してくれるような育て方をしたいなと思いながら送信

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