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ハーバードでの5年間の学びの経緯

こんにちは。最近無事にdefenseを終え、卒業要件を満たしました。せっかくなので、ハーバードで学んだこと、その時の心境などをまとめてみました。Noteを書くのはしばらくぶりです。今後PhDを目指す方も目指さない方も、「こんな感じなのかー」程度の参考に是非どうぞ。

1年目:修士

2018年に意気込んで渡米しました。1日18時間労働みたいな環境から移行したので、この1年間はしょっちゅう夜まで勉強していました。私は後期研修中にそれなりに筆頭著者で論文を書いていたのですが、はじめて疫学と統計を学び、今まで何もわかってない事がわかりました。ハーバードの修士は「論文を批判的に読めるようになる」ことを目標とした教育になっていますが、論文を書いた経験があると、「やべーあんなことやっちゃってた」「こういうこともできた」みたいな感覚を何度も得られ、知識が血となり肉となりました。臨床・疫学研究のレベル100がmaxとすると(maxの定義は置いておきます)、1年でレベル5⇒30くらいになりました。主観ですが(この文全部主観ですが)、米国のMDはMPHやMSくらいが最近普通のstep upですので、修士くらいの知識はアカデミアにいる医師なら必要なのでは、とも思います。

具体的には因果推論の基礎、線形回帰、GWAS、生存分析、時系列分析のさわり、study designあたりを広く学びました。因果推論と予測の違い、DAGの書き方、みたいなわかりにくいコンセプトのは、色んな同期の方と日夜discussionしたのがとても良かったです。個人的には、自分の興味は「効果修飾」にある、ということがはっきりしたのが、振り返ると一番重要な点でした(当然来る前は交絡と効果修飾の違いなんて、考えたこともありませんでした)。同期の方も素晴らしい方ばかりで、比較的年下の自分にも対等に接してくれたので、とても楽しい1年でした。

ただ、修士後のキャリアプランがゼロで渡米したので、それを形作るのは苦労しました。予防医療に貢献したいという思いだけできたので、ポジションの宛てすらなかったわけですから、苦労しました(そんな人はほとんどいません)。結局PhDを目指すことにしたのですが、このnoteで触れた通り1年目は落ちました。まあアメリカに来て3ヶ月の人がapplyしても(当校の場合は)普通落ちます。ただPhD出願の課程で知り合った教授のところに、卒後はリサーチフェローとして働かせてもらったので、その課程を経たことはよかったです。

なお一番大変だったのは、学業でなく、お金でした。幸いにも授業料くらいの奨学金を得てきましたが、子供もいたのでお金は減る一方で、毎日お腹がキリキリしてました。もともと全くものは買わない方ですが、来月の食費が不安定というのは本当にストレスです。卒後はすぐに一時帰国しましたが、いつでもお金を稼げるというMDライセンスは本当に最強です。

2年目:リサーチフェロー

2年目はBWHでリサーチフェローをやりましたが、給料は奨学金からです。ボストンでは、MDであっても修士卒の場合、ポスドクレベルの給与がもらえるポジションは、よほど偶然がなければ見つかりません。さらにBWH(ハーバード関連病院の一つ)の場合、無給でのリサーチフェローは認められていません。ですので、自分のやりたいことが優先する人は、そのための奨学金を得なければいけないのです。今考えれば綱渡りでしたが、これも幸運にも奨学金が得られたので道がつながりました。

この1年の目標は論文を出す事でなくPhDに受かることでした。そのままリサーチフェローを続けるという選択肢もあったかもしれませんが、PhD課程でより専門的なトレーニングを受けた方が研究者としてつぶしが効くと思いました(そしてそれは100%間違いではありませんでした)。ハーバード攻略に詳細は譲りますが、PhDに受かるには 1) TOEFL, 2) 推薦状 というのが最も重要です。TOEFLは110がミニマムという情報があったので、本当に毎週受けていました。私はもともと90点からのスタートでしたが、本当に全く英語をしゃべれなかったので、TOEFL 110というのは高い壁でした。アメリカにいてTOEFLを何回も受けているのはほんとやるせない気持ちでした。もう二度と受けません。

BWHでの研究は2つやりましたが、どちらもcross-sectional studyでした。ただ、今までなく質を極めたようなcross-sectional studyだったので、これはかなり勉強になりました。やはり実践でしか得られない知識はあると思います。

また、この時期からRコーディングを本格的に勉強し始めました。Rコーディングの教科書はネットに無料で落ちているので、それらを参考にしました(Advanced Rは特にお世話になりました)。コーディングの勉強は何の業績にもなりませんが、集中的に半年くらい勉強した事で、Rはかなり強力な武器となりました。多分論文1本分くらいなら2-3時間くらいで書けるようになったと思います。臨床・疫学研究のレベルは、30⇒50くらいになりました。

3年目:PhD 1年目

PhD 1年目は完全リモートで、夜に授業を受けて昼まで寝る、みたいな生活をしていました。臨床もそれなりにやっていたので、お金に困ることはなく、充実していました。

この期間は知識のブーストとなりました。1年目で学んだ量と同じくらいの、よりアドバンストなレベルのものを身につけた気がします。具体的には、因果推論の発展的手法(g-formula、中間因子解析など)、統計学の基礎、統計学としての因果推論などを学びました。PhD 1年目の終わりにqualifying examという10時間の試験を受けたのですが、その対策勉強が特によかったです。これを乗り越えたことで、疫学・因果推論はかなりわかった自信がつきました。疫学科の場合、落第・退学になる最も大きな理由がこのqualifying examと言われています。といっても、自分に興味ある分野の勉強なのでそんな苦ではありませんでした(医師国家試験の方がよっぽど大変でした)。

臨床・疫学研究のレベルは、50⇒65くらいになりました。
この期間は課題や試験勉強に追われていたこともあり、ハーバードでの研究はそれほど進みませんでした。qualifying exam前に娘のがんが発覚したこともありました・・・。

4年目:PhD 2年目

この1年も日本に滞在し、娘の化学療法を無事に終える事を最優先課題としました。最近の分子標的薬はそれほど副作用がないのが幸いでしたが、2週間ごとに2泊3日の入院があったので、かなり大変でした。自分と家族のメンタルにも負荷がかかっており、キャリアとしては実質空白の1年となりました。なおこの年度は対面授業がマストとなっており、授業を一つも取れないという状況にもありました。

この1年は統計学・機械学習の自習に費やしました。特に確率論は重点的に勉強し、統計PhD用の教科書1冊を3回読み切りました。線形代数などの数学基礎のない自分にとってはchallengingでしたが、ヨビノリ先生をはじめとする偉大な日本語教材を駆使してやり切りました。機械学習についてはKaggleでhands-onで学びました(が、PythonをRほど使いこなせるようにはなりませんでした)。

この期間に勉強したことは(業績として)直接的には活きてないですが、統計論文を読むことへの抵抗感はかなり軽減されたことは一つ良かったと思っています。臨床・疫学研究のレベルは、65⇒70くらいになりました。

5年目:PhD 3年目

娘の治療が完了し、ボストンに帰ってまた色々と動き始めました。プロジェクトをメインにおきながら、いくつか追加で授業を取りました。

最も大きな学びはベイズ統計でした。4年目で確率論を自習していたことはかなり大きかったです。コンセプトとRを使っての実践を理解することはできました。この頃にはRCTのデータへのアクセスを持っていたので、実際に研究として実践することもできました。ベイズ統計はハードルが高いですが、将来ベイズ統計を使わないにしても、とても重要なステップだったと思います。

ハーバード疫学科ではDissertationとして3本の論文を書く事が求められます。この3本はかなり労力が割かれますが、自分の場合は1年間ほぼ活動してなかったこともあり、その他にもかなり幅広く手を広げました。やはり研究は実践で学ぶことはとても多く、充実した研究者ライフを送る事ができました。臨床・疫学研究のレベルは、70⇒85くらいになりました。

6年目:PhD 4年目

12月を卒業とすることは担当教官との話し合いで決めていました。本来4年ですが、自分は大学院生としては論文数・研究経験がありすぎており、早く卒業した方がよいとのことでした。論文を書いてしまえばDefenseはほぼ儀式的なものでした。そして今に至ります。

おわりに

自分の場合は変則的なPhD生活となりましたが、上述のように広く深く学びを得ることができました。臨床研究・疫学研究のプロとなりたい方には、自信を持ってお薦めします。そうでない方も、こちらのPhDはかなり潰しが効くので、色んなキャリアアップにつながると思います。日本人はどの大学院も少ないのでチャンスです。是非ご検討ください!
ではまた。

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