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みんなと違っていいですか?~私が学校に行けなくなった理由~

 中学3年生の夏休み明け、わたしは不登校になった。
 まさか自分がニュースなどでよく見聞きする「不登校」になるとは思っていなくて、突然学校へ通えなくなったことに対し、わたしはとても驚いた。
 同級生たちは着々と高校生になるための準備をしているのに、わたしはベッドの上で眠っている。
 わたし、一体どうなるんだろう。
 こうして将来への不安が押し寄せる中、わたしの不登校生活が始まった。

 最初に違和感を感じたのは、中学3年生に進級する前の春休み。
 ジリリと鳴る目覚まし時計を止め、いつものように起き上がろうとしたときだった。
 体が、重い……。
 まるで自分の体ではないかのように体が重く、だるかった。
 しばらくすると徐々に手と足の感覚が戻ってきて、やっと体を起こすことができた。
 だが、ベッドから降りようと立ち上がった瞬間、グラリ。今まで感じたことのない目眩がわたしを襲う。
 風邪でもひいたかな? と思い、一応体温を測ってみるも平熱。
 元々わたしは人より体力が少ないほうなので、疲れが溜まりすぎていたのかも、と気楽に考えていた。
 しかし翌日、また翌日と体が鉄のように重く起き上がることができない。
 次第にわたしは目覚まし時計のベルも分からないほど深く深く眠り、目が覚めたときにはもう正午を過ぎている、という日々を送るようになっていた。
 また、夜になるとまったく眠れないという現象が起こった。
 きっと朝遅くに起きてしまって生活のリズムが乱れているからだろう、と思い家族に頼んでなんとか朝早く起こしてもらったことがあるが、早く起きたにもかかわらず夜になると目が覚めてしまい、その日は一睡もできなかった。
 朝はずっとだるく、夜になると眠気が消える。ただ体からはずっと疲労感が抜けないので、夜起きていてもベッドに寝転がってただ天井を見つめることしか出来なかった。
 両親がそんなわたしの異変に気づき、病院へ連れて行ってくれることに。
 血液検査をするが、異常はなし。一応、尿検査やお腹の中で出血を起こしていないか検査もしたが結果は特に問題ゼロ。最後に「規則正しい生活を心がけて」とアドバイスをもらったが、規則正しい生活を送りたくても送れない。体が言うことを聞かないのだ。
 そうして中学3年生になっても、異変を抱えたままのわたしは学校を休むことが多くなっていった。
「別の病院にも行ってみよう」
 わたしの母は難病を患っている。しかし病名はそう簡単に判明せず、母が抱えているものが難病だと分かるまで、たくさんの病院を受診した。その経験から父は仕事が忙しい中、わたしと一緒に病院に向かってくれた。
 一通りの検査を終えると、医師がわたしに向かって
「何かストレスがあるんじゃない? 学校で嫌なことがあるとか」
 と質問した。わたしは首を横に振って「ないです」と否定した。

 わたしは学校が好きだ。
 頭は良いほうではないが、勉強することが好きだし大切な友達もいる。
 毎日仲の良い友達と登下校しながらお喋りする時間は本当に楽しかった。
 もしもわたしにストレスがあるとするなら、それは自分に対してだ。
 学校に行けていない自分。
 両親に迷惑をかけている自分。
 わたしはわたしに腹が立っていた。
 結局、検査結果に異常はなく原因は不明のまま。
 一日踏ん張って学校に行っては、その後体調を崩して一週間ほど休むというのを繰り返していた。
 休んでいるときでもみんなに遅れをとらないように、と学校を欠席した日はベッドで横になりながら勉強をしていた。寝ているばかりではどんどん体力が落ちてしまうので、毎日運動をした。もちろん、目眩はするがきっと良くなる。そう信じていた。
 だが検査では見つからない異常はわたしの中で日に日に大きくなっていたようで、ある日わたしはまったく起き上がれなくなった。
 丸1日中をベッドで過ごしたのだ。
 少し頭を起こそうとすると目眩がして、頭がズキズキと痛む。
 幸い翌日には良くなっていたが、体の重さやだるさを前よりも強く感じた。
 そして一番ショックだったのは集中力が低下したことだ。
 勉強しようにも、本を読もうにも頭がまったく働かない。
 三度目の正直を願い、わたしはもう一度病院を受診することに決めた。
 母が「ここの病院良さそうだよ」と紹介してくれた病院は西洋医学に加え、漢方でも診療を行っているという。名前を呼ばれ、診察室に入ると優しくて穏やかそうな男性の医師が出迎えてくれた。朝起きられないことや、だるさが抜けないことなど一通りの症状を話すと、医師は一枚の紙を差し出した。問診票だ。
「当てはまるところに丸をつけてみてください」
 渡された問診票にはいくつか項目が書かれており、その横に「はい」と「いいえ」が記されている。わたしはペンを握り、丸をつけ始めた。
 これも当てはまる。これも……。
 自分に当てはまる項目がありすぎて、まるで自分のことをそのまま問診票に書かれているかのようだ。
 わたしが記入し終わった問診票を見て、医師は

「起立性調節障害ですね」

 と言った。
 起立性調節障害。聞いたことはある。でもどんな病気かは知らなかった。
 医師の説明によると、起立性調節障害は自律神経の働きが悪くなり、座っているときや立ち上がったときに脳や体への血流が低下してしまう、という病気らしい。
 そのため、わたしのように朝起きられなくなったり、頭痛や目眩がするのだという。
 原因としては遺伝的な要素、思春期によるホルモンバランス、精神的なストレスなどさまざまだ。

 気のせいじゃなかった。

 診断を受けたとき、瞬時にわたしはそう思った。
 目眩や頭痛や、立っているのが辛いことも朝上手く起き上がれないことも全部全部気のせいなんかじゃなかった。
「この病気は絶対に治ります。ゆっくりしっかり治していきましょう」
 医師の優しく、そして力強い言葉にわたしは「ありがとうございます」と頭を下げた。
 自律神経を整える漢方と、めまいや立ちくらみを良くしてくれる漢方を処方してもらい、帰宅する。
 これで治るんだ。
 嬉しくて嬉しくて思わず涙が出そうになった。

 しかし起立性調節障害は治るといっても、すぐに治るわけではない。
 わたしの場合は早くても半年以上かかると言われた。
 加えて処方された薬が合わない事態が発生し、何度か薬を変えていく必要があった。
 薬がすぐに効くわけではないので、お昼過ぎに起床する日々が続く。
 食前に二種類の薬を飲み、ご飯を食べ、気がつくともう夜……。
 せめて治療を開始する前に比べて、少しでも良くなったことがあれば希望を持てるのだが、良くなっているという実感が今ひとつ掴めない。
 勉強だってどんどん遅れているし、筋肉も落ちてきている。
 何もできていない自分にどんどん嫌悪感が募っていった。

 どうして朝起きることができないの?

 どうして勉強に集中することができないの?

 どうして学校に行けないの?

 それは全部、病気だから。頭では分かっていても「どうして」が増えていく。

 ある日ネットで不登校や起立性調節障害について調べていたとき、子供が不登校になった親の書き込みがでてきて読んだことがある。
 そこには

「子供が不登校でしんどい、疲れた」

「周りの子と違っていて恥ずかしい。早く学校に行って欲しい」

また、わたしが患っている病気に対しても

「起立性調節障害ってだいたいは怠けてると思うよ。今はネット社会だから、いくらでも悪知恵つけられる」

 心が真っ二つに割れてしまったような衝撃を受けた。
 起立性調節障害に関しての書き込みにも、もちろん大きな打撃を受けたが、不登校の子供をもつ親御さんが綴った言葉はとてもショックだった。
 父と母もこんな風に思っているのだろうか?
 わたしの父と母は優しい。だから治療が始まったときも「一緒に治していこう」と言ってくれたし、体調が悪くて八つ当たりしてしまったときにもあたたかく受け止めてくれた。父と母はわたしが世界で一番尊敬している素敵な両親だ。
 わたしはそんな二人の重荷になってしまっているのだ。悲しくて申し訳なくて、わたしは父と母に謝った。

「迷惑ばかりかけてごめん。病気になって、不登校になってごめんなさい。周りの子と違ってごめん」

 ポロポロと涙がこぼれた。
 泣いているわたしを母はすぐにぎゅっとし、

「迷惑なんかじゃないよ! りぃりが生きていてくれるだけで幸せだよ」

「恥ずかしくない?」

「何も恥ずかしくないよ。病気で辛いのに、いつも偉いね。よく頑張っているね」

 母が優しくわたしの頭を撫でる。

「いつだってりぃりのこと、大好きだよ」

 そう言って父もぎゅっと抱きしめてくれた。

 わたしは父と母とぎゅっとしたまま、泣いた。涙がどんどん溢れてくる。

 ごめんなさい、ううん、ありがとう。

 たくさんの感謝を込めてわたしは父と母をぎゅっとした。
 いっぱい泣いてスッキリしたのか、わたしはしっかりと「治そう」と思えた。

 それから私は通信制の高校に進学することを決めた。
 わたしにはずっと行きたかった全日制の高校があったが、たとえ入学できたとしても毎日通えるか分からない。諦めることは寂しかったが、わたしが通信制の高校に通おうか悩んでいることを打ち明けたとき、

「いいと思うよ! 自分で考えて偉いね。通信制って聞いたことはあったけどよく知らなかったな。自分が知らなかった新しい世界に触れるってワクワクするね!」

 と、母が笑顔で言ってくれた。そのおかげでわたしの不安は消え、ワクワクとした気持ちが自分にも芽生えたのが分かった。父もいろいろな通信制の高校のパンフレットを取り寄せてくれた。

 「どこにいても学べる」のはとても素晴らしいことだと思う。
 わたしのように病気やさまざまな理由で学校に行けない人たちにも、学ぶという権利が平等に与えられている。一昔前にも学校に行きたくても行けない人たちがいて、でも今のように学ぶことは出来なかった。インターネットの普及や多様化した社会になったからこそ、さまざまな選択肢が増えたのだ。たくさんの人の想いや努力のおかげで、今がある。そう思うと、じんわりと胸があたたかくなり、ひとり一人のニーズを聞いて可能性に満ちあふれた時代をつくってくれた全ての人たちに感謝の気持ちでいっぱいになった。

 私は現在、無事に通信制の高校へ進学し、病気の治療をしながら勉強をしている。

 父と母は私が周りと違ってもいいと受け止めてくれた。
 私の「違い」を愛してくれた。
 病気になり、不登校になり、辛いときもあった。
 それでも今、幸せに過ごすことができている。
 この先も立ち止まるような出来事があるだろう。
 でもきっと、その経験は無駄じゃない。
 無駄にしない。そのためにも自分に素直に、自分の道を進んでいきたい。

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