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DNA

よく子を見れば親がわかるというけれど本当にその通りだなと思う。もちろん例外はあれど、その人の人格を形成するであろう幼少期に一番側にいるのは言うまでもなく親だ。

私ももういい大人だと言える年齢なんだろうか。去年思い切って胸くらいまであった髪を肩くらいまで切って、ついでに髪色を明るくしたことがあったのだが鏡を見て驚いた。あまりにも母親に似過ぎている。マスクをしていると余計にそっくりで、自分が老けたことへのショックもあったが何よりあまり好まない母親に似るのはなんとも言えない複雑な心境だった。母親は童顔で最近でこそ歳相応といったところだが少し前までは本当に若く見られていたし、実際に年齢も若い方だとは思う。
具体的にこれといった話はないんだが昔から母とはあまり相容れなかった。それは現在進行形であり私にも問題はあるんだろうけれど、どうしてか反りが合わない。これは親子だからこそお互いに意地を張ってしまうせいで譲れないのか、母親の頑固さが見事に私にも受け継がれているせいだろうか。母親を反面教師としているはずなのに血の繋がりというのは本当に怖いもので切っても切れない。遺伝子レベルで性格や思考は受け継がれていくのだからうんざりする話だ。決して親としての尊敬の意がないわけではない、こんな私をここまで育ててくれたわけだし、今も昔も沢山迷惑はかけているけれど見捨てないでくれるのだから感謝はしているつもり。ただ一緒にいるのがストレスになってしまうのでお互いに生きていればそれでいいよね、ぐらいの距離感が丁度いいと少なくとも私は思っている。
それに対して父親とは仲がいいほうだと思う。1度だけ大きい喧嘩をしたことはあるがそれ以外でぶつかったことはないし、学生の頃はバイト代で私が奢るよ!なんて言って2人で焼肉を食べに行ったり、今でも2人で食事に行って近況報告をしたりするくらいには仲良しだ。小さい頃は職場だったり友人との場に連れて行ってもらったり、小学生の頃たまごっちが流行った時には開店前の朝6時くらいから並んで買いに行ったり、バイクの後ろに乗せてもらってレイトショーを見に行ったり、バイトで私の帰りが遅い夜は車で迎えに来てくれたり、夜遅くに帰ってきた私と話すために寝ていたのにわざわざ起きてきたりとか父親との思い出ならいくらでも思い出せるほどに私はパパっ子だ。学生の頃、よくアンケートとかで尊敬する人は誰?みたいな質問には必ず父親と書いていたし、母親と違って父親は凄く社交的で物の価値観や捉え方が心広いし友人も多いしモテる方だと思う。逆に母親は優しいには優しいのだが基本的にネガティブ思考な上に心配性で何でも悪く捉えがちだ。それに加えて自分の家族のことはとても大事にしすぎるあまり異常な程に過保護になってしまう。自分と意見が合わないと分かるとすぐに縁を断ち切ってしまう所もあるせいで友人と言えるような存在はいないんじゃないだろうか。最後には嫉妬深いときたもんだから父親も結婚する前からかなり苦労しているようだった。

そんな2人の血を良くも悪くもしっかりと半分ずつ受け継いでいる気がする。人とのコミュニケーションが好きなくせに、独りも好き。常に誰かといるのはストレスになってしまう。好きな人の為なら何だってできてしまうほどに一途で嫉妬深いけれど、飽き性な上に好奇心旺盛なので興味を引くものにはすぐ目移りしてしまう。ポジティブに見えて根はネガティブなので勝手に最悪の状況を想像して病んでしまったり。

うーん、いっぱい自分語りしてしまったけど結局なんの話がしたかったんだっけ。

確か母親に似たくないと思えば思うほど似ていく自分が嫌いだと思って書き始めたんだけれど、嫌いなものは意識すればするほど自分の中に強く存在し続けるものだからどうやっても逃げられない。一生自分を好きにはなれないだろう。

人の求めるモノに応えすぎてしまったせいでよく自分が見えなくなる。

とある映画の中で女性ヒロインが付き合っていた彼氏に『いいんだよ、嫌になったら別れても……いいなぁ…君は私と別れられて…。嫌になったら別れられるんだもん、でも私は私と一生別れられない。いいなぁ、羨ましいなぁ…』と話していて胸が締め付けられた。

嗚呼、死んじゃいたい。

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