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「夢」というよりは「願い」だけれど

“もしも一つだけ願いが叶うとしたら何にする?”

よく、子供向けの本や小説でよくあるセリフなんじゃないかと思う。
そんな質問に、過去でも、未来でもない“今の私”はこう答える。

“大切な人を幸せにしてほしい”

結局、他人まかせじゃないかとか、自分のことじゃないじゃないかと言われるかもしれない。
それでも、今の私にはこれしか浮かばなかった。

私には、どうしても幸せになって欲しいと思う人がいる。でも、私の力ではその力になれないことも分かっている。
自分のなりたい姿や目標ももちろんある。でも、それは自分が努力することで叶えられる可能性がある。もし、努力せず叶えられる夢があるのならそれは「夢」じゃないと私は思う。
夢が簡単に叶ってしまったら面白くない。自分の手で努力して、達成するから、夢は叶える意味があるんだ。少なくとも、私はそう思っている。
しかし、その人の幸せのために、私は何かをすることが出来ない。できることがない訳では無いが、直接に強く結びつくものでは無い。だから、“一つだけ願いが叶う”という、不思議な力に頼りたくなるのだ。努力しなくても叶う力に、すがりたくなるのだ。

私は、あまりにも自分勝手でその人を困らせてしまった。もしかしたら、辛い思いをさせてしまったかもしれない。もし、そうなのだとしたら、その人の幸せのために、その人の中の私の記憶も、私の中の記憶も、すべて消して欲しい。私のことを忘れて欲しい。そして私も忘れたい。そんなことまで、不思議な力に願ってしまっている。

神様どうか、私のことでその人を悩ませてしまっているなら、負担をかけてしまっているならどうかその記憶をその人の頭から消してください。私のことを、忘れさせてください。
私の大切な人を、どうか幸せにしてください。

それが、今私が一番に強く願うことだ。もしこの願いが叶うなら、他は何も欲張らない。そう思えるほど、心から願っている。
それだけ、私にとっては大切なことで、私には叶えるのが難しいことなんだ。

叶えたい「夢」というよりかは、「願い」になってしまったが、叶えたいという思いはどちらも同じなのでそこはどうか許して欲しい。
私の夢の話は、またいつか出来たらいいなと思う。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。


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