自らの帰属意識に関する覚書(BTSを通して考えたこと)

おバンタンさんを日常的に見るようになって、当たり前だけど海外の文化に触れる機会も増えたといっていいと思うのだけれど、それによってわたし案外日本のこと好きなんだなあ、と感じることも増えたというか、自分の帰属意識(もしくは日本という国への考え方)の捉えなおしが起こったな、思うので、書き残して置きたいと思います。ここの記事でいうBTSはほぼK-POPと言い換えられると思うけど、わたしが基本的にBTSしか知らんのでBTSと書いてます。悪しからず。
微妙な話題もあるので、不快な思いをされた方がいたらごめんなさい。(もちろん気をつけて書こうという気持ちはあるんだけど、念のため。)

【わたしと欧米とBTS】
まず前提として、わたしは「欧米コンプレックス」が強い人間である。つまりは、アメリカ、ヨーロッパへのあこがれが強い方だと思う。(その理由は生い立ちに起因するのかな、とかいろいろな自己分析結果もあったりしますけど、誰も興味ないと思うので割愛)
元々、海外ドラマや洋画・洋楽は詳しくないけど好きだし、日本語より英語やヨーロッパの言語のほうがロマンを感じるし、食事も和食より洋食派だなあ。旅行行くなら(お金と時間の制約がないなら)国内より海外、それもアジアよりヨーロッパやアメリカに行きたい、そういうタイプですね。(一応補足しておくと、これは優劣の問題ではなく、わたし個人の趣味嗜好のはなし)
裏を返すと、日本やアジアへの評価が低い人間で、だから逆に日本に旅行に来ている外国人観光客の方に対しても、うれしい半面なぜわざわざ日本なんかに、、と思ってしまったりする。だから周りには常にK-POPのおたくがいたのに、K-POPには全くといっていいほど興味がなかった。同じアジアのものなら日本のものでいいじゃん、的な感じで。要するに、対欧米で考えた時、わたしはアジアを日本と同じくくりのもの、としてとらえていたんですね。

だからこそ、BTSが気になったのは「洋楽っぽい」「英語詞の」Dynamiteだし、興味を深めたのもアメリカの番組でパフォーマンスをする彼らの姿を見たからでした。(詳細については別記事書いてるので興味があればどうぞ~~)


Map of the soulとかは顕著だと思うけど、最近のBTSの音楽は北米への売り出しを意識しているのかな?というか、どことなくK-POPっぽくない気がして(〇〇っぽくない、という言葉は誉め言葉の文脈であっても〇〇に入るものを軽んじているところがあるので好きではないのだけど、便宜上使いますね)、だからこそK-POPには興味がなかったわたしにも刺さったんだと思う。それでいてDynamite以外の歌は韓国語で歌っていることとか、「韓国の人(=アジアの人)である」というプライドを捨てていない姿勢がかっこい~~~~と思ったんですよね。
ここまでをまとめると、「わたし(日本)と同じくくり」のアジアの人であるBTSが、アジアの人であるということを保ったままで、欧米に認めらている、という図式に痺れてしまったわけですな。半分被害妄想だけど、やっぱり欧米に旅行に行くとアジアの人(というか観光客?)軽んじられてんな~と思う瞬間があったりもするので(まあ忙しいところにモタモタしている言葉の通じない観光客いたらイラつくよねとも思うけど)

繰り返しになるけど、対欧米の図式の中では、日本も韓国も(他のアジアの国も)同じくくりにいれる、それが無意識ながらもこれまでのわたしのとらえ方でした。だからこそ、BTSが欧米社会におけるアジアのプレゼンスを高めてくれたらいいのになーとか思ったりもする。(これは今現在も)
わたしたちアジアの人でも、洋楽っぽい音楽はできるし(ていうか洋楽っぽい音楽っていう言葉自体彼らのおかげで当てはまらなくなっていく未来だって夢見てしまうし)、しかもそれが本場(=欧米)に認めてもらえることもあるっていう夢を見せてくれているのがBTSだなあ、と思う。もしかしたら、彼らを通じて欧米コンプレックスを克服できるかも、とも。

【わたしと韓国】
K-POPには興味がなかったわたしだけど、韓国はずっと身近な国だったように思う。幼稚園の時の仲良しが韓国の子で、親同士が料理教えあってたから実家ではよく韓国料理が出たし、大学ではサークルにもゼミにも韓国の先輩がいたし、韓国の大学生とゼミもやってたから、一般的な日本の学生より、韓国との関わりは多かったのかな?と思っている(とはいえ、一般より日本に興味・関心のある韓国の人としか関わっていないという視点も忘れちゃいけないんだけど)。それに気づいていないだけで、思った以上に身の回りに韓国ルーツの人がいるんだろうなあ、とも思っている(わたし自身のルーツだって、たどっていけばどこかで関係しているかも)。
これらの経験に加えて、最近BTSの動画とか見てても思うこととして、日本と韓国は似通ったところがたくさんある。発音と意味が同じ単語も多いし、漢字を使うこともそうだし、同じゲームをやってたりするし、食文化だって調味料とか被ってて割と似てると思う。
韓国には日本語をしゃべれる人も多いし(それがなぜなのか、ということを忘れてはいけないけれど)、K-POPを好む日本人が結構いるように、日本の漫画やアニメ、ジャニーズとかを好きな韓国の人も結構いるイメージで、前述のように大きなくくりとしてのアジア(特に東アジア)に日韓を入れてしまうことにもある種の納得感はあると思う。

一方で、違うところもたくさんある。BTSを見るようになってからより感じるようになったかも(これまで出会ってきた韓国の人たちは、対わたしたちの言動だったのであって、韓国の人だけで完結する会話や行動を見るのは初めてだったからかな~。BTSはメンバー全員韓国の人、しかも地方出身ってのも大きいのかなあ)。
料理の話で言うと玉ねぎと青ネギ一緒につかうのは韓国ならではだなあ、と思ったりするし、儒教に裏付けされたヒョンとかヌナみたいな文化も日本とは違うなあ、と思ったりする。年の数え方も違うし、兵役の存在とそれに影響された性差の考え方や社会人年齢の考え方の違いもある(他人事として感じがちだけど、兵役制度の大きな要因である朝鮮戦争の裏には在日米軍基地の大きな影響があることを忘れてはいけない、と最近自戒する)し、やっぱり何より(受けてきたであろう教育に紐づく)歴史のとらえ方が違う。
わたしはつい最近までK-POPもBTSもミリ知らだったので、やっぱり彼らのイメージって数年前の原爆Tシャツ問題だったりしたのだけど、まあなんていうか、日本の人として憤るというよりは、まあ韓国の人からしたらそういうこともあるよなあという印象を持ったのをよく覚えている。というのも、大学生時代に韓国の大学とゼミをしていたときに、たまたま8/15をまたいで韓国に滞在する機会があって。日本では終戦記念日である8/15は韓国の人のとっては独立記念日であるということを(考えてみれば当たり前なんだけど)体感したからでした。もちろん、原爆投下は許されるものではないけれど、見方を変えれば違ったとらえ方をされたり、違う意味を持つこともある、ということは心に留めておかないといけない。(Tシャツ着用自体は国際的な有名人だけにちょっと思慮が浅すぎたかなあ、と思ってしまうけど)
原爆の話と同列で書くのは違う気もするけど、BTSやTWICEが着用しているとうわさ?になってた慰安婦支援のラバーバンドは、わたしがやってたゼミの韓国側メンバーも普通にしてました。日本の学生とゼミをする日にも着用するくらい(そしてそれをどういうものなのかわざわざ教えてくれるくらい笑)普通に、当たり前のこととして韓国の人は慰安婦支援をしているんだな、とすごく実感したんだよね。たぶんその人個人がいわゆる親日だとか反日だとか関係なく、その時々の日韓関係とかとは切り離されるくらい、慰安婦支援ということはされているんだなあ、と。慰安婦問題の韓国政府の取り扱い方についてはわたし個人として思うところがないわけじゃないけれど、どちらが正しい、正しくないではなく、とらえ方、物事の感触が違うんだってことは、わたしたちがK-POPに触れたり、一般市民同士として触れ合っていく中で心に留めておくべき事項な気がするな~(政府同士の問題はまた別のはなし)

また、BTSを見るようになって感じることとして、韓国という国のイメージアップへの寄与が半端ではないな、ということがあげられると思う。前述のようにわたし個人が韓国の文化に多少なりとも詳しくなっていっていること自体がそうだし、ヒュンダイ、サムスンといった彼らがイメージキャラクターをしている韓国を代表する企業の広告を目にすることは格段に増えたし、知らなかった企業の広告を見ることもある。(購入には至ってないけど)
イメージだけではなく、この渡韓なんてできない世の中でも、配信や通販を通して(あとはサブスクの再生とかも通して無意識的にも)、韓国にお金を払っているなあ、と感じることもある。(わたしは幸いにもコロナの影響で収入が下がったりしていないからこういうことができているわけだけれど、だからこそ、日本企業にお金を払ったほうが良いのでは、と葛藤することも正直ある)
ソフトパワーとか文化外交政策という概念があるけれど、やっぱりBTS(やK-POPアイドル)の活用が韓国は上手だな(日本が下手すぎるとも言う)と日々感じてしまう、、。インターネット上で見れるコンテンツの数とか、字幕対応とか、上げればキリがないけれど、やっぱり文化大国として国を挙げてやっていこう!という気概がすごい。ソフトパワーって舐めちゃいけなくて、何か国際的に大きな出来事(お察しください)が起こるときって最後に鍵を握るのは世論だったりするわけで、相手の国のイメージが良いっていうのはもしもの時にすごく大きな影響を与えたりするんだよな~と日々思ったりする。そして、わたしが直接的にBTSにお金を払う以外に、韓国に旅行に行く人が増えたり、韓国の食材買ってみたりと、経済的な寄与もすごいんだろうな~。直接的にも間接的にも雇用とかも生んでるだろうな~~。これだけの規模の影響力の源泉が生身の7人の人間というのは、すごいと感心する一方恐ろしくもある。みんなご飯いっぱい食べてあったかくして寝てほしい。(だからこそこんだけソフトパワーに寄与している彼らはハードパワー面への寄与は免除してあげてもいいんでは、、と思ったりするけどなかなか難しいんでしょうね。基準の引き方とかね。というか他所の国の国防政策に適当に言及するのは浅はかですよね、すみません)

以上が、わたしと韓国のBTS以前、以後の関わり方ですね。やっぱり韓国という国は物理的に距離が近いので、今も昔もこれからも地政学的な関わりも深いし、その分心理的にもいろいろあるよね(まとめ雑すぎん?w)というお話でした。私(たち)が勝手に抱く仲間意識(同じくくりに入れる)はもしかしたら韓国の人らにとっては全く当てはまらないかもしれないのだよね〜と当たり前だけど思い返したりして反省したり。身近でもあり、その分難しい部分も多い。当たり前だけれど。

【わたしと韓国とその他の国】
ここからが、BTSを介して見方が変わったなあ、という話です(やっとかーい!)
おバンタンさん、日本でも人気だけど、それ以上に(?)欧米だったり、東南アジアだったりでの人気がスゴイ。
こないだも、インドネシアのCMを目にする機会があって、「異国の人がやっているさらに違う国の商品が何かもわからないCMを見ているわたし、何、、、?」って思ったりしたんだけど笑、前に書いたような韓国のイメージアップや、彼らの影響力(いわゆるソフトパワー)が日本以外にも及んでいるんだな~~と日々思います。
いままで、日本と欧米とか、日本と東南アジアとか、日本と韓国とかの2国間関係を考えることはまあ無きにしも非ずだったけど、日本・韓国・東南アジア/欧米みたいな視点がBTSを見るようになってから追加されて、世界の中の日韓関係みたいなことをときどき考えるようになりました。
(別に韓国に限ったことじゃないけど)同業の企業同士のパイの取り合いとか、単純に利害が一致しない事項とかが国と国の間にはどうしても時にはあって、そんな時により世界的に魅力を発信している(=強いソフトパワーをもった)国の方が有利な立場になる、みたいなこともあるのかなあ、とぼんやり考えたりします。日本もがんばらなきゃまずいぞ、的な。そういう感情を抱くと、自分は日本に対して評価が低くて、日本のことはあまり好きじゃないと思っていたけど、案外日本のこと好きなんじゃん?みたいな己の中のナショナリズムに気が付いたりするわけですな。まあ良くも悪くも生まれ育った国と自分のアイデンティティは切り離せないというか、日本という国・概念から逃れられる日は一生来ないのだなあ、と思ったりするわけです。

【分けられないこと、分けるべきこと】
自分と日本という概念は分けられないよね、という一方で、自分の気持ちや考えが「日本で生まれ育った人間である」という事実に縛られすぎてはいけないな、とは思う。この記事の中でも「洋楽っぽい」とか「K-POPっぽくない」みたいな言葉を使ってしまっているけれど、~っぽい、~らしく、みたいな考えに縛られることは、差別や偏見の根源になると思うので、、。日本という土壌で育った影響を受けていることを意識することで、自分の考えの成り立ちをきちんと把握できたらいいな、みたいな。
そういう意味で、彼ら(に限らず)をどこの国のアーティストであるのかとカテゴライズしすぎるのも良くないのかなあ、と思ったりする。(国連のスピーチであなたの肌の色がなんであれあなたが誰であれ、Speak yourselfだよ!って彼らも言ってましたしね)まあ一方で、彼らが(自分=日本に近しいと感じている)韓国のアーティストであることもわたしが彼らにもった大きな一因であることは確かであり、、と堂々巡りになってしまうんだよな~。

そして、基本的に私はソフトパワーという概念を肯定しているけれど(今更だけどわたしはソフトパワーという言葉を文化的な魅力だけではなく経済も含んだ意味で使ってます。すっごいざっくり肯定している理由を書くとハードパワーで競い合うよりも国際的な対立の平和的解決に近いと思っているからです)、同時に政治的なことにアイドルやスポーツが利用されることの脅威も同時に感じる。いわゆるポピュリズムというか、世論が「考えなくなる」ことにもつながると思うので、、。(そして何より、アイドルや選手本人の自由が奪われかねないので)
現状そういう動きがあるとかは別に思っていないけれど(あくまで"結果的に"ソフトパワーに寄与しているというレベルだと思う)、彼らの自由を守ったり、権力に利用されすぎないように最後の砦に慣れるのは「観客の目や良識」だと思っているので、楽しみながらも気を緩めず、、と思ったりします。

どんどん取っ散らかってきたけど笑、わたしが日本で生まれ育ったこと、彼らが韓国の人であること、日本と韓国が関わりの深い国同士であることとか、変えようのない、分けられないことはたくさんあるけれど、同時に、混ぜるべきでないことや分けるべきことへの意識も強く持って応援していきたいなーと思うんですよね。わたしが日韓情勢に何かしらの感情を抱いたり、日本という国に対してナショナリズムを覚えたりすることと、BTSが素敵だな、と思う気持ちは全く矛盾しないし、両立しうる(逆パターンだってそう)ので。まだまだ日本に残る差別的な(これは対韓国に限らずです)言動や、それに伴うK-POPへの抵抗みたいなものって、そこを混同しているからかなーと思うんで、、。コンテンツへの評価と好き嫌い(そして一般市民同士の友情や関係性)と、国同士のお話は(繰り返しになるけどソフトパワー的な意味では完全には切り分けられないけれど)、分けて考えるべきだよね!ということを忘れないよう気を付けたいなあーと思います。

【おわり】
書いているうちにすごーく長くなってとっ散らかり、完全に自分語りになってしまったのだけれど、K-POPに手を出した日本に生まれ育った人間の備忘録でした。かっこ書きの多さに自分の葛藤を感じるな笑

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