自分の立場を自覚すること-「モヤモヤ本」に対するモヤモヤについて等-

私の好きなBTSの大ブームをはじめとして、日本社会は第四次韓流ブームまっさかり!私のように、ブームをきっかけにドラマやアイドルを通じて、韓国の文化に触れる機会が増えた人が多いことから、K-POPファン界隈で流行っているのがいわゆる「モヤモヤ本」である。

K-POPや韓ドラを追うにしたがって、日本人が感じがちな「モヤモヤ」に焦点を当てているということで注目を浴びているこの本、実際紙の本は割と売り切れていて(その事実にもびっくりした!)、私も電子書籍で読みました。

私は割と捻くれた人間なので、手に取った理由は、自分自身が日韓関係にモヤモヤしていたから、というより、あまりにも「モヤモヤ本」1冊だけが流行っている(かつ、目に入る感想が肯定的なものばかり)であることにモヤモヤしていたからです。(モヤモヤのゲシュタルト崩壊???)一つの本の意見だけが界隈でこんなにも受け入れられているのって健康的なの?と。
でも読まないことには何も言えないよね、と思って、読んでみました。このように、スタートがちょっと批判的な目線?であることは自覚しているので、おまえズレてんな!って感じだったらごめんなさい。
最初に断っていくと、本の内容を否定する意図は全くないです。日韓関係に対してもそんなに強い意見がある方ではない(と思っている)ので、モヤモヤ本の立場に賛成するつもりも反対するつもりもないです。

この本や、この本で触れられているいわゆる「モヤモヤ」や、昨今のBTS(をはじめとしたK-POP)の活動を見ていて思うのは、結局人は自分の目線からしか物事をみたり語ったりできないし(わたしで言えば日本人という立場ですね)、語るべきではないということ。また自分が受けている恩恵や弊害?にもできるだけ自覚的にありたいな、ということです。結局前に書いたコレからあんまり内容が変わっていない私は頑固だなw

【日本人(K-POPファン)が感じるモヤモヤの正体】
そもそも、この本でターゲットにしている「モヤモヤ」とは何なのか、という話です。
簡単に言うと、「日本と韓国は昔なんかあったっぽい」「よって推しは'反日'かもしれない」「親(や周りの人)が韓国のことを悪く言うことがあり、韓国人を応援することにうしろめたさを感じてしまう」みたいなことですね。
そもそも。'反日'とか'親日'みたいな雑なカテゴライズをするべきではないと思うんだけど(誰しも、100%好きなものとか100%嫌いなものとかないでしょう?という話)、推しが日本をどう思っているのかとか、親(等、韓国を悪く言う人、下に見ているニュアンスのある人)が言うことが正しいのか、知識がないから判断がつかない!モヤモヤする!という状態なのかと思います。これまで日韓の間に起こってきたことをきちんと知ることでそこを解決しよう!がたぶんこの本の狙いだよね。
この「何が正しいのか判断できる材料がない」人が多いという状態自体は(それが日本政府の意図的なものかどうかは置いておいて)、普通に教育の敗北、、、と思うんだけど、日本と韓国に昔何があったのか、とか、植民地支配とは、とかをあんまり知らない!って人には、かなり初歩的なところからこの本に書いてあるので、すごくためになる内容なんだろうなと思いました。(逆に、こっから書かないといけないんだ、、とも思いましたが、、笑)また、この本にも記載されている通り、「知らないで済んでいる」日本社会の状態が既に特権的だと言うか、ある種知らないことも罪なんだよなという意識は必要だと思いました。
一方で、わかりやすくするために、かなり簡略化されている部分もあるな、とも感じたので(わかりやすいところで言うと、BTSが兵役を「免除」されたと書いてあったり)、そこはちょっと意識して読む必要があるのかなあ、と。

【歴史に真実はあるのか】
一方で気になったこととしては、この本に書いてあることも「あくまで一つの見方なんだ」という視点が欠けていること。
言葉の選び方が合っているかはわからないけど、この本を書いている人たち(そして手に取るメイン層であろうK-POPファン)はいずれも「韓国に一般以上に興味があり、好意を持っている人」であることは意識しないといけないと思います。
この本の中では、日本の植民地支配やそれに伴う慰安婦、徴用工問題、さらにそれを根っことした朝鮮戦争や兵役問題、日韓政府間の賠償問題について文献や証言を根拠として「真実」として記載されていますが、(それが間違っているという意味ではなく)歴史において絶対的な真実はないんじゃないか、、と私は思っています。
というのも、私は大学生の時に近代外交史の勉強をしていたのですが、歴史を読み解くときって同じ文献をもとにしても、色んな解釈がでてくるんですね。(逆に言うと、外交文書や演説を書くときは、意図的に解釈の余地を残すか、絶対に誤解されないようにガチガチに描くか、単語一つのレベルで見直しが入る)
ときどきK-POPおたくの界隈でも「その翻訳、ニュアンス合ってる?」問題が話題になったりするけど、その複雑版が外交問題(ひいては日韓問題)なわけで、この本に書かれている事実・真実もあくまで一つの見方であって、これに反論したい人たちは、きっと同じ文献や証言を根拠に使って違うことを言うんだろうな、という視点はたぶん必要。そしてできれば(私もできていないけどw)色んな意見に触れた上で、自分にとっての「真実」を選び取ったうえで行動していくしかないのだと思うな~~。(だからやっぱり今の一冊だけが流行っている状態は不健康だと思っちゃうんですね、、。まあカウンターになるような本やコンテンツが現状ないから仕方ないけれど)

同時に、この本の主張のように、日本の取っている立場や教育が間違っているとして、「何故そんなことが起こっているのか」というところを掘り下げる必要性も感じました。
韓国に対して、近い国だからこそライバル意識があるとか、過去の関係性が無意識のうちに意識に刷り込まれていてなんとなく下に見てしまっているとか、そういう感情面もゼロではないと思うけど、やっぱりそれだけじゃない、と私は思います。
特に賠償関連だけど、それって元を正すと私たちが働いて払っている税金なわけで、「いくらでも払ってください!」と私は言えない。徴用工の問題も、自分や身近な人が該当企業で働いていたりしたら、、と思うと、私はこの本と全く同じ主張はできない。
やっぱり、べき論だけではなく、それをしたらどうなる?まで考えての当事者意識なんじゃないかなあ、と思ったりする。まだまだ私も知識が足りないのでじゃあどうする?まで行きつけないのが悔しいのですが笑、日本に暮らしているからには、日本の国益、自分の生活への影響についても考えないといけないよね、と思うわけですね。
(以前も書いたけど、どうしてもパイの食い合いになる部分もあるので、韓国のK-POP活用の上手さとか、自分がめちゃくちゃ韓国にお金を払っていることを顧みて、日本経済のためになにか、、と思うことも結構ある)

【「文化だけを消費する」ことは正しいのか】
「モヤモヤ本」のもう一つの根っこであり、主張は、韓国文化(K-POPや韓ドラ)を楽しむにあたって、歴史・人権問題を知ることは必要だ、何故ならこれらを切り離すことはできないから、というものかと思います。

これについては一部同意、一部反対という思いがある。

まず同意する部分。やっぱりK-POP界隈にいて、兵役絡みとかで「言っちゃいけないこと」「あまりにも不用意で無責任な発言」を目にすることがちょいちょいあるので、最低限の歴史は知ることが、ファンが自分自身を守るという意味でも必要だと思う。本当だったら別に韓国文化に触れない人たちも知っているべきではあるけど、現状知らない人が多いのであれば、韓ドラやK-POPがそういうきっかけになるのは素直にいいことだと思う。
また、彼らを通して見る韓国社会・文化は絶対に歴史に影響を受けているから、完全に切り離すことはできないよねっていうのも同意だな、と思います。

反対する部分については、一方で、分けるべきところは分けるべきだと思う。し、最低限やっちゃいけないことをしないのであれば、お金を払って韓国文化を楽しむ権利はあると思うからです。
まず、何より、彼ら自身が日本にプロモーションをかけていることから分かるように、私たちは顧客なわけですな。だから、変に「日韓問題をきちんと理解していないから、、、」と委縮して韓国文化から離れてしまうのはお互いのためにならないよねっていう単純な意見。

分けるべきところは分けるべき、という話は、人間が完全に一貫するのは無理だと思うからです。私はかなり韓国に好感を持っている側の人間だと思うけど、彼の国の政策や社会情勢、文化に疑問を覚えることもある。簡単なところで言うと、タリョラとかのバラエティを見ていて、あまり食べ物を大事にしていないこととかすごくすごく気になる。けど、良くも悪くも「違う国の違う文化」だと割り切ることも大事だな、私に批判する権利なんてないな、と思ったりする(似たようなことが韓国→日本でもきっとある)。この感情を抱くことで私が嫌韓だ!!って非難されたらびっくりしちゃう。それはたぶんお互い様で、韓国の人たちが日本に対してアレ?って思うことがあったり、それこそ歴史問題の解釈が日本とは違うからと言って韓国人は反日だ!と言うのは少々粗雑すぎる。だけれど、日本にも韓国にも、「アレ?」って思うことを正当化の材料にして、本当の意味でのヘイトみたいな方向にエスカレートする人たちがいるのも事実だと思う。それが起こるのって、やっぱりすべての問題を一つのカテゴリに入れ込んじゃっているからじゃないかなあ、と思うのです。(無理に内面を一貫させようとすると、人間は過激に寄る気がする)
だから、分けて、割り切るところは割り切って韓国文化を楽しみたい、というのが私の思い。「ご飯の扱いが気になる」という思いと「タリョラが面白いから毎週火曜日がとても楽しみ」は全然両立するのです。

「草の根活動」だけでは意味がない、「なんとなくお互いが市民レベルで仲良くするだけでは解決しない」という主張もされていたと思うんだけど、根本的な解決にはつながらなくても(そもそも根本的な解決って何?そんなことありえる?とも思う)、歴史・人権問題が介在しない関係が成立しているなら続けていってもいいと思うし(参加者同士がハッピーならええやん、という単純な主張)、今後参加者たちがより深く日韓関係について考えるきっかけになる可能性もあると思うから否定することもないんじゃないかなあ、と思ったりする。

【罪悪感の混同】
本の内容とは離れますが、K-POP界隈にいて気になることとして、罪悪感の混同が発生している気がするがある、ということ。
すごく簡単に書くと、アイドルを推すことに伴う罪悪感(彼らの人生を消費しているのではないか)を、日韓関係における罪悪感と混同して、後者について考えることで許されようとしている側面ってないかな?と思う。少なくとも私はそういうところがちょっとある。そしてそれはとても失礼なこと。
だからやっぱり、ときどき立ち止まって自分の感情と言動の棚卸をする時間を持ちたいな、、と思ったりするわけですね、、。なかなか難しいですが、、、。

【まとめ】
めちゃくちゃ取っ散らかったのですが、K-POPファンをするにあたって、私が気を付けていきたいことは以下の3点です。
・感情の混同をしない:気になった1点を根拠に相手国を非難しない。問題を混同して自分の感情の消化をしない。
・本当の意味で、客観的な立場、相手の立場に立つことは無理だと自覚する
・なるべく色んな意見を読んだ上で、自分の頭で判断する(前段としてなるべく知識をつける)

以上!!!!(終わり方が雑!!!!)


---
途中で入れたかったけどうまく入れられなかったエピソードたち。

【韓国人は'反日’か問題】
上記を考える上で、私がいつも思い出す思い出。
大学生の時、韓国の学生と合同ゼミをしていて、1週間くらいソウルに滞在したことがある。ちょうど8/15を挟む日程で、向こうの光復節(独立記念日)に当たるので、休暇で街に戻ってきた軍人さんがちょこちょこ電車に乗っていたのが印象的だった。

ゼミでは、経済の違い(財閥)とか、文化の違い(大学生活や就活の違い)に焦点を当てていて、あんまりいわゆる日韓関係の話はしなかったのだけど、飲み会の途中かなんかで、そういやもうすぐ終戦記念日だね、みたいな話になった。
そこで、韓国側の学生が、「いま韓国で一番流行っている映画がいわゆる'反日'映画なんだけど、日本じゃ絶対見れないと思うから見に行ってみる?」と言ってくれて、みんなでレイトショーに繰り出した。その滞在中、向こうに日本語ペラペラの学生がいたのもあり、割と日本語ガンガン使ってたんだけど、行く道で初めて「映画館のなかでは一応あんまり日本語しゃべらないでね。なんもないとは思うけど、一応。」と注意された。

https://www.wowkorea.jp/profile/300469.html


内容は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の李舜臣の戦いぶりを描いたもの。史実に即しているとかいないとかいろんな批評があるけど、連れて行ってくれた学生が言うには、ポイントはそこじゃなくて「この夏の時期に日本と戦って勝った映画が上映されていること」とのことだった。単純にスカッとするから流行っていると。たぶん日本で言えば半沢直樹とか水戸黄門みたいなノリなんだと思う。
レイトショーだったし、全部当たり前に韓国語だったし途中で完全に寝てしまって内容はよくわからなかったんだけど(オイ)、そういう映画がめちゃくちゃ流行っているという事実にびっくりしたな。これをきっかけに、私の中で「韓国の人たちの中の、歴史への思いは日本の人とは全然違う」(どちらが正しいかじゃないよ)という思いが確立された気がします。
あえて雑な言葉を使うなら、私たちの推しが「反日じゃない」なんて絶対言い切れなくて、色んな思いを抱えているんだよ、という意識は必要な気がする。イヤイヤお金のために日本で活動している、という意味ではなくて、日本のファンにありがとう!だったり、日本のことが好き!という気持ちと全然自然に両立する事実なんだ、というのは、推しだけでなく私が関わってきたゼミのメンバーからも感じてきたことです。

【状況、立場で「正義」も「真実」も変わる】
未だにどうするべきかわからず、私のなかでモヤモヤしている話。

私の通っていた中高は反戦教育にかなり力を入れていて、中学三年生の夏休みの宿題が「戦争体験の聞き書き作文」だった。
これは、自分の祖父母等戦争を経験している人に話を聞いて、後世に戦争を伝える作文を書きましょう、というもの。私の世代でももう祖父母は戦争を覚えていない世代だったりして、聞く相手がいない人は学校が紹介してくれる人に話を聞きに行く、みたいな宿題だった。

私は幸いなことに、祖父母の年齢がかなり上だった。姉も同じ学校に通っていたのだけれど、姉は祖母に話を聞いて作文を書いていたので、私は祖父に話を聞くことにした。
でも、そもそも祖母より祖父のほうが年齢も上で、実際に軍隊にいた人だったので、姉が祖父ではなく祖母(終戦時に6歳くらいの年齢)に話を聞いたことが不思議だった。よくよく聞くと、「祖父は話をしたくない」と言ったのだという。

とは言え、姉と年齢も離れていないし、同じ話を書くのも嫌だった(し祖母に何度も同じ話をさせるのも嫌だった)ので、お願いして祖父に話を聞きに行った。

私の祖父は、(孫の私が言うのもアレだが)とても素敵な人だった。その年ではかなり珍しいと思うのだけど、英語がペラペラで、海外を飛び回るビジネスマンだった。ポーカーとか海外の遊びもたくさん教えてくれたし、結構すごい人なのに全然偉そうじゃなくて控えめで、もう亡くなってしまったけれど、あんなふうになれたら素敵だなあ、と未だに思う。

で、戦争の話を聞きに行ったのだけれど、よくよく聞くと、祖父は陸軍士官学校の出だった。だから、結構軍隊の中では出世コースだったみたいで、そこまで苦労話はでてこなかった。この宿題の目的が「戦争の悲惨さを伝えること」だと理解していた私は焦った。
そして最後に、「終戦と聞いたときはどう思ったか」という質問をしたときの答えが、中学生の私には衝撃的だった。
「大将になるのが夢で生きていたのに、いきなり夢への道が閉ざされてどうしたらいいのかわからないと思った」
私が初めて聞く「戦争が終わってしまうのが困る」という意見に困惑した。いやマジで困惑した。しかも、穏やかで紳士な祖父の口から出てきたから。

作文を書くとき、めちゃくちゃ悩んだ。でも、戦争が終わるのが困ると思ったなんて結論にできないと思った当時の私は、相当脚色して違う結論の作文を書いた。直接祖父に作文を渡しに行けなくて、親経由で渡してもらったし、祖父からもやっぱり直接感想を聞くことはなかった。

多分祖父も求められている話(反戦的な)ができない自覚があったから姉の打診は断ったのだと思うし、その上で受けてくれたのに私の対応はダメだったな、、と思う。けど、当時の私はどうしても戦争を肯定するようなことは書きたくなかった。一方で、リアルタイムで戦時中の世に生きていた祖父が、いわゆる軍国主義を根っこに抱いていた夢や絶望を、戦後しか知らない私の価値観で間違っている!否定する権利なんてあるわけもなく、、とぐるぐる考えてしまう。もちろん、「そう言う世の中だったから」では許されないこともたくさんある(それこそ慰安婦とか徴用工とか)けど、真実も正義も状況によって絶対にブレるのに、何かを断罪することなんてできるのかなあ、と思うんですよね、、(それこそ、コロナによってこれまで正しいとされてきたことがひっくり返ったりもするし、絶対的に正しいことなんて世の中ないのですよね、、)

あの時、私は「戦争が終わってほしくなかった」という祖父の当時の感情から目を背けてしまったけど、もっとちゃんと話を聞いてみればよかったな、と祖父が亡くなってしまってから思うようになった。
当時の社会情勢や、祖父の置かれた立場によって、こんなにも正義や真実は変わるということを身をもって感じた体験で、(とはいえ戦争はダメ、という私の思いは変わらないし、別に祖父もまた戦争しろとか思っていたわけじゃないよ、念のため)絶対的だと思っている真実や正義でさえ、他人に押し付けることはしてはいけないな、、と思ったんですよね。だから、文化や歴史の違う、他の国が相手ならなおさら。

あの作文、今書くなら私はどうやって書くんだろうなあ。いまだに提出できていない宿題という感じ。

---

おしまい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?