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大切なことはすべてキッズラインが教えてくれた

約1年半、ジョインしていたベビーシッター&家事代行の「キッズライン」を海外引越のため、2020年3月31日に卒業しました。

1年半。そう、文字にするとたった1年半だけれども...。

嬉しいことも、楽しいことも。ちょっと成果っぽいものが出せたと思うことも。うまく伝わりきらず、苦しかったこともなかったとはいえない。でもそれも含めて本当に楽しかった。

たった1年半。

家事代行の新規事業立ち上げインターンの募集を見てジョインしたのをきっかけに、半年間は家事代行の立ち上げメンバーとして。残り1年ちょっとは広報として。

ほんの一場面に関わっただけの私が語るのもおこがましいですが、でも私にとって、心からビジョンに共感できる会社で仕事ができたこと。

そして、新卒で妊娠&出産し、人と違うキャリアを歩む自分がずっと抱えていた

「心の底から仕事をしたって言えない」コンプレックス

を、20代のうちに払拭する機会を持てたことは、人生において、何物にも代えがたい財産となった。

この気持ちを残したい。立場になくても、語りたい。おこがましいですが、この1年半を総括することをお許しいただければ幸いです。

※タイトルは敬愛するボス・ひとみさんのサイバー時代の退職エントリをオマージュさせて頂きました。(またネトストがバレる...🥺)

「人生の主導権を握る」こと


1年半の、キッズラインでの仕事を通して学んだこと。

たくさんあるけど、最も大きいのは、キッズライン代表・経沢社長がよくnoteやVoicyなどでも語っている

「自分で、人生の主導権を握る」

ことを仕事を通して、体感できたこと。

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私がこの言葉に初めて出会ったのは、3年ほど前。まだ前職で会社員として働いているときに「かほこママ」のVoicyにハマり、特に印象的だったこの言葉を自分の日記にメモしていた。

そして、キッズラインでの仕事を通して、この言葉はただ自己啓発として耳心地の良い言葉であるだけではなく、

ベンチャー企業が、自社のサービスを本当に必要としている人に届けるために、不可欠なスタンスであることを身を持って実感できたことが、本質的な学びだった。

「主導権を自分で握る」からには、何があっても基本的に自責。

どんなに不透明な状況であっても、自分には何ができるのか、の視点で世の中を見続ける。

おかしいと感じることがあれば、批判するだけではなく、解決策を探す。解決策がすぐに見つからなくても、まずは伝えてみる。行動する。

言葉だけで聞くと耳障りが良くても、実践する過程はとても大変なものだ。カロリーもかかる。

でも私はその過程を、内側でまざまざと見ることができた。傍観者としてだけでなく、広報として過程に携わることもできた。

具体的事象を語ると枚挙に暇がないので、ここでは割愛しますが、この過程を通して「ベビーシッター」という保育手段が、公的補助に続々認定される潮流を肌で感じ

「人生の主導権を握る」

という究極の自責思考は、自分の人生だけではなく、世界を、そして時代をもより良く変えることもできる―そのことを学べたのは、人生において、大きな財産となった。

広報として。言葉に向き合いつづけた日々


こうしたマインド面だけではなく、「広報としての実務」においても数多くの経験を積めた1年半だった。

やらなければいけないことと、やりたいこと、使命感に駆られることがたくさんあって。

もちろん成功ばかりではなく、冒頭でも触れた通り、苦しいときもあったのも事実。

自分のふがいなさを、痛いほど感じることも少なくなかった。

でもその分、会社や経営においての「広報の重要性」を痛感するきっかけにもなった。

私の「心の底から仕事したと言えないコンプレックス」は、こうした痛みをも伴う成功および失敗体験がそれまであまり無かった故のものだったかな、と今になって思う。

元来、私は豆腐もびっくりのふわふわメンタルで、「鉄の女」に憧れるくせにガラス、いやむしろすぐ割れるiPhoneの液晶画面ハートの持ち主で、人よりも「限界」の閾値が小さい(威張ることではない)。

そんな私が、こうした経験を通して、強くなったかと言われれば、正直強くはなっていないと思うけれども😂(おーい!)

でもこれから先の人生。一回折れかけても、「あの経験をしたから大丈夫」「あのときはこうして乗り越えた」という経験値を積めたこと、自分のいろんな体験を通して、人の気持ちへの想像力が(多少は…)広がったこと。

それは、資本主義の世の中においても、お金では変えない財産。

場を与え続けてくださった環境に、本当に感謝です!

(▼四半期に一度の全社総会的なところで、MVPもいただけた!賞とかランキングが露骨に嬉しいタイプなので、めちゃくちゃ嬉しい)

ビジョナリーな環境で、やりきれた

●「主導権を握る」という、社長の、そして会社のスタンス。
● 広報としてのたくさんの実務面での経験。

そして何より楽しい1年半となったのは、メンバーのみなさん一人ひとりの人間性の素晴らしさに尽きた気がする。

具体的には、好奇心旺盛で気が利いて、そしてそれぞれがめちゃくちゃ「ビジョナリー」であるということ。

ちょっとしたランチの会話でも、「ベビーシッターってどうやったら身近になるかな」みたいな話をしたり(それってすごいことだ)、プレスリリースを書いたら、毎回個々人のSNSでシェアや拡散をしてくださったり。

そんな環境だったから、四半期に一度のビジョンプレの場でも、議論が上辺だけにならず、めちゃくちゃ盛り上がって。

私自身も、社会人歴=子育て歴とも言えるキャリアを過ごしている人間で、元々ベビーシッターの一利用者であったところからキッズラインジョインに至ったため、いかに「ベビーシッターを日本に根付かせる」のか、公私ともに考え続ける日々だった。

大きなニュースが出たときは、それぞれが自主的に、時に夜遅くなっても議論を続けて、何が最善なのかを考え抜いた。

本当に、毎日が文化祭みたいで、楽しかった。

この表現をすると、「仕事と文化祭を一緒にすんな!!😠」と、もしかしたら、怒られてしまうかもしれないけれど...。

でも文化祭とは、みんなが一つになって何かを作る青春の象徴で、終わった後の達成感は何物にも代え難く、作り手が情熱を込めていれば、見ている人にもエネルギーを与えられる、唯一無二の存在で...。私にとっては、「文化祭」は文化祭以上の意味を持つ単語なので、どうか許してください。

ビジョンが同じだからこそ、自分一人だと糸口が見えないと思ってしまうような仕事でも(事実、休日にも関わらずボスに電話したり、Slackのtimes部屋などで不安を漏らしてしまうことも多々)、皆さんの力をお借りして全身全霊で取り組むことができた。

そうして一枚岩で取り組んだ仕事は、やはり返ってくるものも、大きかったように思う。

なにより、最終出勤日にはこの状況でみなさん公私ともに状況が読めない中、ZOOM送別会も開催していただき。

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音楽依存症の私にぴったりすぎる素敵なプレゼントも頂いて、めちゃくちゃ嬉しかったです。

一緒に働いたメンバーは、先輩方も後輩たちも、同い年の仲間もみんな、カッコよくかつ優しく、熱くて尊敬できる人ばっかりだった。

優しい、でくくるとどうも紋切りっぽいけど…相手の気持ちを想像した上での気配りが半端じゃない人ばかりで、それはもしかしたら「ベビーシッター」という事業ドメインに集まった人たちであるが故だからかもしれない。とにかく、学ぶことだらけだった。

人と違うところに行きたがり、突っ走ってしまいがちな割に、変なところで繊細さを発揮し、よくわからないところで怯んで前に進めない。

扱いづらい私を、導いてくださった社長やボスをはじめ尊敬する先輩方(みなさん内面も外見も美しく、完璧な人ばっかりだったな。何より人を気遣うプロの方ばかりだった。私もそう、なれるのだろうか)。

時に頼ってくれて、時に根性で支えてくださったかわいい後輩のみんな(後輩ズは、みんなかわいく素直なのにブレない根性を持ってる点で共通していて、純粋に尊敬。"根性"、それは私が最も欲しているのになかなか身につかないスキルの一つ)。

そして、個性が強く、それぞれのチームで力を尽くした同い年のみんな。(同い年が5人くらいいたけど、みんなきれいにチームがバラバラだったね。1回しかできなかったけど、同い年ランチ楽しかったな。また同窓会したいな。今年は30歳だー!)

最後まで、見送ってくださってありがとうございました💐

エピローグにみせかけた本音


実は、この退職エントリは2019年6月に少しだけ、書いていたのだった。

自分の弱さと、私事的なもろもろがあり、バランスを崩したとき。
体調を崩し、「大好きな人たちに迷惑をかけてしまった」という事実にさらに打ちのめされて、「こんなに迷惑をかけるなら辞めよう」とボスに伝えた。

そして少しでも気持ちを整理したくて、退職エントリを先回りして書いてた。

でも、「りーちゃんが戻ってくるまで、いつまでも待ってるよ」というありがたすぎる言葉に本当に救われて、自分のペースで諸々を整えることができ、戻ることができた。

そのとき書きなぐった記事には、こんなことを書いてた。

正直、後悔はなくはない。「やりきった!!!」って100%の気持ちでは、言えない。

いまなら、私は言える。

もう、「100%、やりきったあああああ!!!!!!」と😂

この記事で散々、「学びました」って表現してしまっているけど。今の感情は「学んだ」「成長」とも、また違っていて(でも、今の私の力量ではこれら以外の言葉で表現ができないので、とりあえず採用している。)

もちろん、確実に成長もできたと思うけど、ここで仕事をしたことは、自分の成長が目的なのでは決してなく、自分の成長の前にまず、

「必要な人に、必要なサービスを届けるという義務」

という、全てのベンチャーおよび、ベンチャーの仕事人が持つべきマインドを体現する覚悟を決めて、働けたこと。
成長は「その覚悟で仕事をした結果ついてきた副産物」という表現が、近いかな。

そして、この覚悟を持って仕事をしたことは、今後も広報やライティングといった「人に届ける」仕事を続けたい私にとって、レバレッジが効いてくるのでは、と思うのであった。

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とかとか、真面目なことももちろん本音ですけども。

あーーー、まじで楽しかったし、ほんとにめちゃくちゃ迷惑もかけたけど、一番やり尽くせたなーーー!!!!!20代をここで過ごせてめっちゃよかったーーー!!いや、もはや別に20代じゃなくてもいいけど。

会社のみなさんや、シッターさん、自分も子育て当事者という意味では同志とも言えるご利用者さま、メディア関係者のみなさま、他社の広報仲間…。素晴らしすぎる出会いが、死ぬほどあった。また、新しい出会いだけでなく、一生懸命仕事することで、旧友ともステージを変えて仕事の話ができる―そうした「出会い直し」みたいな。それもまた最高。もう、これが本音の本音です👱‍♀️

本当に、ありがとうございました!

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<おまけ>最近の近影


このnote。なかなか言語化できなくて、割と思い立ったらすぐ書いて公開する派の私でも、書いてから公開するまでに数日かかってしまった。(この記事は妥協したくない、ということもあり😂とはいえ、今は勢いにも任せたいので、えーーい!)

そして状況が刻一刻と変わる世の中。ここ数日で私個人の状況もいろいろ変わったところもあるので、近況報告もあわせて...。

先日noteにも書いたとおり、本当はこの4月からシンガポールに引っ越す予定で、そのために3月末で卒業したのですが。

このご時世、シンガポールから入国禁止が先週末くらいに突然出てしまって...😂

今住んでる家を一旦解約はしていたものの、幸い次の借り手が決まってなかったため、現状住み続けることができてるんですが、一旦引っくり返したオセロをまた引っくり返すような日々を送っているなう。(住民票戻すのだけ間に合ってない。これはマスク2枚もらえないのか!?!?

新小1となる娘も、日本の学校には入学させずそのままシンガポール行く予定だったので、先日の卒園式では保育園の仲間と別れを惜しんだものの、先行きも不透明なので一旦日本で入学させるべく、急いでランドセルを買って(ラン活しなくても、ランドセルは買えるという学び)、諸々手続きをし終わり。
(と、書いたところで「GW明けまでの休校延長」が千葉県で発表されるという、またオセロ😂こりゃ、いろいろ買い揃えたが、学校通う前に渡航パターンもあるかも)

けど、こういう二転三転の出来事も、「人生の主導権を自分で握る」スタンスが身についたからか、そこまで慌てふためくこともなく。

日本で勉強する時間できたから、DMM英会話やろうとか、挨拶もせず渡航するところだったからおばあちゃんに手紙でも書いとこうとか、状況に踊らされずポジティブに対処できてるのは、本当に収穫だったな、と。(元来、めちゃめちゃ動じがちな性格なので)

周りの状況が見えなさすぎて、「自分の裏切らなさ」が相対的に上がる今。

主導権を握れるところと握れないところを明確にして、握れる範囲に自分のリソースを集中投下し、快進撃をLet it ROCK⚡🎧したいですね。

流行りにのってオンライン飲み会をやりながら、この文化が日本で根付いてから渡航できた方が、シンガポールからでも飲み会参加できるからよくね、とかとか。

これからも、人生の文化祭を続けよう〜〜

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最後まで、お読みいただき、本当にありがとうございました🌸

そして、キッズライン関係者のみなさま、そしてこれまで応援・ご支援いただいたみなさまに(いるのか?)改めての感謝を。ありがとうございました!

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これからも、私は自分の言葉で、話しつづけたい。

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ご覧いただきありがとうございます!調子の良い不器用な人間が、自分の言葉で生きることだけは続けようと書き綴っています。素直さだけが取り柄なので単刀直入に、サポートいただければすっごく嬉しいです!