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【母の日】いくつになっても母は母、子は子。

こんばんは。

5月12日は母の日でしたね。
もう1週間過ぎてしまいましたが、感謝の思いも込めて書こうと思います。

本当に母は偉大だなぁって思います。
まだ私は母親ではないので、母親という目線を味わったことがないです。

私は、母親が30歳の時に生まれました。
現在30歳の私は、この歳で子供を産んで育てるということは本当にすごいなぁって思います。
ましてや、私は3人兄弟の末っ子なので3児の母として私を育ててくれました。
母親は本当に優しくて器の広い方だなぁって思っています。怒られた記憶がないんじゃないかってくらい、常に優しくて大尊敬です。


そんな母親にはやっぱり何かお返しできるものはないかなって思っていて、小さい頃から母の日というイベントを通して、何かしらの感謝を伝えてきたつもりです。
日本人特有なのかは分かりませんが、日ごろから感謝を伝えると言う習慣はあまりないのかなあって感じています。
個人的には母の日と言うイベントがあることで、感謝が伝えられるのは良いことかなって思うので、素敵な文化だなって思います。
でも、毎日伝えてもいいんじゃないかなとも思っています。


そもそもなぜ母の日と言うイベントができたのか、あまり知らなかったので調べてみました。

日本で母の日が定着したのは明治末期の頃です。アメリカから、キリスト教由来の行事として日本に導入されました。1915年(大正4年)には、教会で母の日のお祝いの行事が開催されました。

当時は、一部のキリスト教で行われていた「マザリングサンデー」という移動祝日が母の日として認識され、3月がその日として知られていました。そして1931年(昭和6年)、大日本連合婦人会が結成されると、昭和天皇の皇后である妙子皇后の誕生日である3月6日が「母の日」として公式に制定されました。しかし、この時点では一般の人々にはあまり知られていませんでした。

母の日が日本で広く知られるようになったきっかけは、1937年(昭和12年)の「母の日大会」です。この年、日本のお菓子メーカーが20万人のお母さんを東京の遊園地に無料招待しました。このイベントは「ありがとうお母さん!」と題され、お母さんと子どもたちが遊園地で楽しむ姿がメディアで大きく取り上げられました。これにより、日本でも母の日が広く知れ渡るようになりました。

第二次世界大戦後、再びアメリカ文化が流入してくると、アメリカの影響を受けて5月の第2日曜日が「母の日」とされ、日本全国に普及していき、カーネーションが母の日の贈り物としては主流となりました。カーネーションの花言葉は「女性の愛」であり、特に赤いカーネーションには「母の愛」という意味もあります。そのため、カーネーションが母の日のプレゼントに欠かせない花とされるようになったのです。
引用元:https://www.eflora.co.jp/f_mother/colum/mothers-day/01/#index01



お菓子メーカーの戦略だったのか!!
バレンタインのようですね。

でもイベントと絡めることで覚えるし、会話のネタにもなるのでいいですよね。


今年の母の日は、ありがとうのメッセージと共にギフトを贈りました。
もっと稼いで豪華なプレゼントが贈れたらと思います。
親孝行は私の稼ぐ理由の1つなので、これからも頑張ります\(^o^)/


時折電話をしますが、いつも楽しくて好きです。
元気にしてる?旦那さんとは仲良くしてる?
といつも問いかけられますが、それもまた楽しいです。
私も母親の声を聞くと元気出ますし、いつまでも元気でいてほしいなぁって思います。
私が大人になった今でも、親子なのでずっと変わらないですね(笑)

自分のことを横に置きがちな母親には、もっと自分に対して贅沢に生きてほしいです☆


お母さん、いつもありがとう。



りさ

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