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土曜日のメロンパン


 初めて訪れた福島区という上品な街の一角にある居酒屋で、わたしはしくしくと涙を流していた。入口の木の扉の高さは低く、扉をくぐると異世界にでも迷い込んだかのような洗練された店内が視界に飛び込んでくる。目の前に座っている、なにわの商人あきんど・義父は何杯お酒を飲んでもテンションが変わらない。高くなることも、低くなることもない。常に一定の活力で、わたしに説教をほどこす。

「あのなあ、エリちゃん(わたしの仮名)、サラリーマンはどれだけ国にお金を持っていかれとるか知らへんのよ。商売人してたらすぐに分かるわいっ。サラリーマンになったら最後、搾取され続ける人生やで」

 飲みの場でも、職場でも、基本的に義父の主義主張は変わらない。政治、経済、世界情勢など、さまざまな角度からわたしに世の中の基本を教えてくれる。ニュースでは決して報道されないことを、義父は自らの考えを持って他人に語るのが好きなひとだ。
 義父は二十代の時に進学塾を始め、今では地元ではかなりの生徒数を集めるほど、名の知れた塾になっている。新卒で大企業に就職し、職を転々としていたわたしは今、義父が社長を務めるその進学塾で働いていた。むろん、義父の息子である夫も同じ職場で働いている。ほとんど家族経営である塾だが、義父の授業へのこだわりはひと一倍だった。なんでも、うちの塾では授業中に生徒の笑いが絶えない。先生たちは、分かりやすい授業をするだけでなく、生徒が笑って聞いてくれるように飽きさせない授業づくりに励んでいるのだ。そんな義父のなにわ魂が投影された授業だから、巷ではちょっとした人気を誇っている。

 その塾の体制を一代で築き上げた義父が“すごいひと”であることは言うまでもない。
 だがわたしは、初めて義父に会った時から、正直義父のことが苦手だった。まず、顔が怖い。というのは百歩譲って慣れたら大丈夫だとしても、自分の主張が強いのと、独特な力強い喋り方が、些細なことを気にしてしまうわたしの神経に合わなかったのだ。

 福島区でわたしと夫、義両親で飲んでいたとき、わたしは一体何に涙を流していたんだろうか。これまでいろんなことがありすぎて、何で困惑してしまったのか思い出せない。たぶん、わたしがこれまで生きていく上で大切にしていた価値観を、否定されたのだと思う。義父は自分の言いたいことをはっきりとすぐ言うタイプ。対してわたしは頭の中で論理を構築してからしか、うまく発言をすることができない。思ったことを発言するのに時間がかかるのだ。頭の回転がはやい義父と、対等に議論をすることはできなかった。それでも、結婚して何年か経つうちに、義父の言うことを少しずつ流せるようになってきた。義父は口うるさいこともあるけれど、裏では夫や妻であるわたしのことを心配してくれていることを知っていた。とにかくわたしたちが路頭に迷わないように、保険や家賃収入など、生きる術を教えてくれる。たまに厚かましいこともあるけれど、心遣いだけは理解できた。

 でも、結婚当初、まだ二十三歳と若かったわたしは、義父の捲し立てるような物言いに深く傷ついてしまうことが多かった。わたしの家族は義家族とはちがって、みんな大人しく、食卓で上がる話題も休みの日に何したいとか、新しくできた施設が面白そうだとか、本当に他愛もない話ばかりだった。だから、いつも溢れんばかりの世の中への怒りや今後のビジネス展開についての意見をぶつけてくる義父の話を聞いているのが、正直息苦しかったのだ。

 中でも、「エリちゃんは親不孝すぎる」と言われたときはさすがに傷ついた。
 確か、わたしが実家のある福岡に帰省する回数について話していた時だった。盆と正月、それ以外にも度々帰省をしているわたしだったが、義父にはわたしがあまりに帰省しなさすぎると思ったらしい(たぶん世の中的にはかなり帰省している方だが)。「そもそも親元を離れて暮らすなんて、親不孝だ」と言いたかったようだ。
 大抵のことは流そうと心得ていたわたしも、この時ばかりは「むむむ、」と反発心が芽生えた。
 わたしは大学時代から一人暮らしをしていて、就職してからも実家で暮らしてはいない。結婚した相手がちょうど大阪の人で、就職先も大阪の会社だった。わたしは大学時代を過ごしていた街を離れ大阪に移り住み、現在に至る。
 でも、その気になればいつでも実家のある福岡に帰ることができた。独身だったら帰っていたかもしれない。大阪に特に思い入れがあるわけではないから。それでもここで暮らしているのは夫がいるからだ。夫が大阪を離れられないのは、家業があるからに他ならないのに、義父の言うことは本末転倒のように思えた。

 さすがにこの時は夫が庇ってくれてなんとか腹の虫が収まったものの、義父はまたちょくちょく、わたしの琴線に触れることを言ってきた。もう諦めてさえいる。わたしはずっと、この人のそばで生きていかなくちゃいけないから。ひとつひとつの言葉にいちいち気を張っていたら身が持たない。うん、義父の話は申し訳ないが半分ぐらいしか聞かないようにしよう、と常に自分に言い聞かせた。

 それから数年の時が流れ、わたしと夫の間に娘が誕生した。
 初めての育児は楽しかったけれど、やっぱり不慣れなことが多く、神経をすり減らす日々だった。
 授乳、睡眠不足、離乳食、母乳拒否、在宅ワーク、さまざまなワードが頭の中を飛び交う。襲いくる一つ一つの問題を、満身創痍で迎え撃った。夫の仕事が夜の十時まであるので、一人で対処しなければならないことが多く、てんてこ舞いな日々だ。

 夫は塾で講師をしているので、テスト前になると土日も仕事が入ることが多い。かなりの期間連勤することになるので、夫自身もとても疲れていただろう。
 特に入試前は受験生の指導で忙しく、わたしは休みの日にも一人で家に引きこもっていた。
 ある土曜日のこと。その日も夫は朝から仕事が入っていた。

「実家で見てもらうのはどう? おもちゃとか買ってもらったらええやん」

 土日も一人で育児をこなさなければならないわたしに、夫は申し訳ないと思っているようで、わたしにそう提案して来た。
 実家というのはむろん、夫の実家である。正直わたしは休みの日まで「義父のところにいくのか……」と乗り気ではなかったものの、それ以上に休日を一人で迎えるのに精神的な限界が来ていたわたしは「そうする」と頷いていた。

 自宅から夫の実家まで程近く、車でひょいとたどり着くことができた。赤ちゃんとの移動は、おむつやらミルクやら着替えやら、とにかく荷物が多い。二階のリビングから降りて来てくれた義父母に荷物を上げるのを手伝ってもらい、わたしと娘、義両親の土曜日が始まった。

「あの、少し買い物に行きたいのですが……」

 遠慮がちにそう尋ねる。義実家に昼から夕方までただ滞在するというのでは時間を弄んでしまう。暇つぶしのためにも、夫から「買い物に行きや」と助言を受けていた。

「そうやったな。よし、トイザらスでも行こか」

 表情には出さないが内心ノリノリで答えてくれる義父は、普段わたしに説教をする時とはちがって“親戚のおじさん”みが増していた。職場で会う時、義父はわたしにとって「社長」なので、休日の義父はやっぱり親戚のおじさんなのだ。実際、親戚どころか家族なのだけれど。

「ついでに晩御飯も買ってこなあかん」

 義母は帰りにスーパーに寄るという予定を立てているらしい。夫が仕事から帰って来たらみんなでご飯を食べるつもりだったので、その準備をしてくれるのだ。

「ほな行こか」

「あ、ちょっと待ってください。先にミルクを……」

 わたしは持って来たカバンから哺乳瓶と粉ミルクを取り出して、お湯を温める。四時間おきの授乳なので、出かける前に一度飲ませておくのがちょうど良い。娘はこくこくと喉を鳴らしながら出来立てのミルクを飲み干した。

 授乳タイムが終わるといよいよお出かけの時間になった。義父が運転する車で、義母は助手席に、後ろの席にわたしと娘が乗った。

「ちょっとカインズ寄ってってもええか?」

「あら、何か買うの?」

 カインズとは、言わずと知れたホームセンターである。ちなみにわたしが住んでいた福岡ではほとんど見たことがない。調べたら福岡市内にはなかった。

「ちゃうねん。土曜日のメロンパンうていこうと思って」

「ああ、メロンパンね」

 義父の要望を聞いた義母が神妙に頷いた。
 話についていけないわたしは、頭の中に疑問符を浮かべた。

「エリちゃんは知らんへんの? 土曜日のメロンパン。カインズの前に、毎週土曜日に売りに来てん。日曜日もメロンパン売ってるけど、土曜日と日曜日は違う人やねん。日曜日はあかん。土曜日の方がめっちゃうまいから、買いに行くで」

「は、はあ」

 「土曜日のメロンパン」について饒舌に説明をしてくれた義父は、もうすっかりメロンパン腹になっているのか、カインズへと車を走らせた。

「おっちゃん、メロンパン三つ」

「はい、三つですね」

 早速見つけたメロンパンを売っているキッチンカーの前で、義父はメロンパンを買ってきた。義父は常に黒地に赤いラインの入ったジャージを着ているが、この日もジャージ姿の強面の義父がメロンパンなどというファンシーな菓子パンを持って歩いているのだから、脳内でうまく処理が追いつかない。身内のわたしでさえそのあべこべな組み合わせに笑ってしまいそうになったのだから、赤の他人が見ればさぞ滑稽だろう。

「はい、これ。食べ食べ。ええ匂いやろ」

 後ろの席に座っていた私に、メロンパンを渡してくる義父。お昼にカップラーメンを食べてきたわたしは正直あまりお腹が空いていなかったのだが、手の中にあるメロンパンからは甘くて香ばしい香りがぷうんと放たれていた。
 一瞬にしてメロンパンが入るくらいの隙間が、胃の中にできてしまった。
 甘いものは別腹、という言葉がまさにしっくりくる。

「やっぱうまいな〜土曜日のメロンパン」

 義父は早くもメロンパンにかぶりついている。どうやらこの時間まで何も食べていなかったらしい。それはそれは、さぞ美味しく感じられるだろうと思った。

「いただきます」

 わたしの胃もすでにメロンパン腹になってしまっていたので、わたしはメロンパンに一口かぶりついた。口の中でサクッという食感と、中のふんわりとした生地が溶け合う。甘すぎない優しい味が、香りと共に鼻から抜ける。

「お、美味しい……」

 土曜日のメロンパンは確かにとても美味しかった。
 夢中になって二口目、三口目へと突入する。助手席の義母は土曜日のメロンパンを食べるのに飽きているのか、わたしほど感動はしていないが、それでもちゃんと食べていた。

「な、ええやろ。エリちゃんにも味わってほしくて」

 メロンパンを全部食べ終えた後で、義父がぽろりとそうこぼした。

「わたしに?」

「そや。だってこんなにうまいもん、近くにあるんやで。すぐに買えるんやで。ま、土曜日しか無理やけど」

「……」

 軽い冗談を言って笑う義父が、いつもより格好良く見えた。
 わたしは義父が苦手だけれど、義父がわたしに良い思いをしてほしいと思っていることは知っている。
 自分の主張をはっきり伝えようとするのも、自分の好きなものや主義主張を、わたしや周りの人間に共有して、共感してほしいからだって。
 伝え方が間違っていることは多々あるけれど、根っこの部分は優しい人なのだ。

「ありがとうございます。土曜日のメロンパン、覚えました」

「ははっ。次はシュン(夫の名前)と来いや」

「はい。でも彼は菓子パンあまり食べないかもです」

「そおか。じゃあ、俺がまたうたるわ」

「楽しみにています」

 義父の豪快な笑い声が車内に響く。すっかり眠りこけていた娘が起きて、小さく泣いた。娘の泣き声さえ、聞き心地がいい。
 たかがメロンパン、されどメロンパン。
 多分わたしは、この先も義父の言葉にいちいち傷ついたりイラついたりするのだろう。
 でも、義父が優しい人だということは忘れない。忘れそうになったらまた、土曜日のメロンパンを食べにこよう。土曜日まで、覚えていられたら。


【おわり】

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