球場

それぞれの9回裏

 
 いつかこんな記事が載る日が来るだろうと思っていた。

 本当に、いつかこういうタイトルで書かれるんだろうなと思っていたら、ほぼ想像していた通りの形で出てきたので驚いた。毎年秋になると引退したり自由契約になったり、戦力外通告を受けたりする選手が出てくる。実は密かにその面々とチェックして、“元近(モトキン)”……元近鉄の選手だった人がどれだけ残っているかを調べていたのだが、今やその人数は3人となり、そして皆がキャリアの終盤を迎えている。そのことを伝える記事だ。

 かつて近鉄バファローズという球団があった。最後の数年は大阪近鉄という名前だったが、取り敢えず西武は西武、阪神は阪神のように、近鉄は近鉄だった。

 鉄道会社が球団を持つ場合、普通は自社の路線で行けるところに球場を作って、鉄道運賃と観戦料の両方で儲けられるようにする。コトはもっと複雑だと思うが、基本的にはまあそういうことだ。ところが近鉄が自前で用意した球場、大阪ドーム(京セラドーム大阪が現在の正式名称だが、京セラと書くとややこしいのでやめる)は、近鉄線のどの路線とも直接は接続しない場所にあった。外野フェンスが高く観客席の斜度も急で、内野席から外野の一部はまったく見えない。座席間は狭くしかも前の列の椅子の背面が凹型で常に膝が当たるという、謎の観戦環境が整った球場だ。

 そんな球場に、私は何度も試合を見に行った。

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 近鉄ファンで良かったと思ったことは殆どない。かつてあった「江夏の21球」も仰木監督時代の天国と地獄も、2001年の熱狂とそのあっけない終焉も、全てが最後は涙を飲んで終わる話だ。そして挙句の果てには親会社がチームを手放し、同じ関西のライバル球団であるオリックスに吸収される形で無理矢理その幕を閉じた。その後のオリックス・バファローズの長きに渡る低迷は、あの時のうやむやな合併を恨んだ両球団のファンの呪いのせいだと、私は半ば本気で思っている。何より大阪ドームに行くとそう感じる。チームもファンも、皆がいまだに行き場を失ったまま場内を彷徨っているのだ。

 しかしそんな球団でも、愛すべき選手はたくさんいた。そして今その去就が注目されている3人もそこに含まれている。

 近鉄時代から目に見えて活躍したのは岩隈だ。堀越高校出身のあんなにスマートでいい球を投げるピッチャーが、何故大阪ガスの工場跡地に作られた不格好な球場で野次られながら投げているのかよくわからなかったが、しかしそういう在り方自体がいかにも近鉄的だったと思う。当時は数少ない近鉄ファンの先輩と「掃き溜めに鶴」と笑っていたが、彼は間違いなく近鉄最後のエースだった。

 坂口と近藤はいずれも近鉄時代というよりはオリックス時代に花開いた選手だ。そして今は2人ともヤクルトにいる。かつては近鉄こそ巨人他をお払い箱になった選手の再就職先だったが、今はそれがヤクルトらしい。坂口はその前向きさがプレーの全面に出て今でも多くの固定ファンがついている。近藤もタフな中継ぎとして「再生」して嬉しい限りだ。

 そしてその3人が今、選手としてのキャリアの9回裏を迎えている。

 ●●に行ったあの選手は今どうしてるかな。何だか都会に出て行った子供を見守る親のような心境だが、そんな気分を味わえるのもあと数年ということだ。そりゃあ指導者も含めれば“元近”の重鎮はたくさんいるが、やはり現役選手は根本的に違う。今の所属チームのユニフォーム姿越しに大阪ドームで躍動していた時代を見て、もう一度あの様子を見られたらなあと思えるのは彼らだけだ。

 多くの元近鉄ファンが言うことだが、2004年に球団がなくなって以来、私はいまだに日本のプロ野球で特に好きなチームがない。虫干しと称して年に一度の「関西クラシック」だけは当時のユニフォームを着て見に行くが、今のバファローズは近鉄とはまったくの別物だ。なので彼ら3人の存在は、プロ野球と私をつなぐ最後の接点になるかもしれない。

 今年は一度くらい神宮球場に行ってみようかな。岩隈も勿論見たいのだが、巨人側で試合を見るということが、しかし私にはどうしてもできそうにない。

 近鉄を好きになるということは、つまりそういうことなのかもしれない。

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