リハビリつれづれ 5

 午後は両膝のTKA(人工膝関節置換術)のおばちゃん、肝臓の調子が悪くなったおじさんのリハビリをしたところで次の患者さんである。
 山田寿和(としかず)さん八十五歳。身長百六十八センチ、体重四十・二キロの細身の男性で、二週間前に誤嚥性肺炎による、高熱のため入院となった患者さんである。肺炎自体は落ち着いてきたのだが、体力、筋力が落ちてしまったため、リハビリ介入となった。入院前の生活は奥様と二人暮らし。屋内伝い歩きで移動しており、家事は高齢の奥様が行っていた。また、近くに娘さんが住んでいるため週に一回程度娘さんが生活の手伝いを行っていたとカルテに書かれている。
 ご本人からではなく、カルテからの情報であるのは理由がある。それは、山田さんは認知機能が低下している方なのである。名前を尋ねると、
「やまだとしかず。」
と深みのある低い声で答えてくださるのだが、この場所がどこか尋ねても、
「うーん、ここは、、、どこだろう?」
「今日は何日か分かりますか?」
「えーと、今日は、土曜日(本当は月曜日)だから、えーと、十月、いや十一月かな?(本当は四月)」
 といった次第である。ただご本人はとても穏やかな方であるため、混乱して怒ってしまうような様子はなく、徘徊をするような様子もないため、病棟の看護師さんも穏やかに看病をしている。
 認知症とは、“脳の病気や障害などさまざまな要因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態※6”をいう。以前は“痴呆症”という表現がされていたが、軽蔑的な表現であるために現在は“認知症”と言い換えられている。
 日本における認知症の人数は年々増加していくとされている。2025年には高齢者の増加とともに、高齢者(六十五歳以上)の五人に一人(七百万人)は認知症になると予測されており※6、今後ますます認知症の方と関わる機会は増えていくと思われる。また、認知症の主な原因疾患としては、アルツハイマー型認知症、血管性認知症、レビー小体型認知症が挙げられる。頻度としてはアルツハイマー型が67.6%、血管性認知症が19.5%、レビー小体型(認知症を伴ったパーキンソン病も含む)が4.3%とされている※7。
 山田さんは車いすで看護助手さんに搬送してもらいリハビリ室に来室される。認知機能が低下している方の場合、人によっては勝手に歩きだしてしまったり、点滴を抜いてしまったりするリスクがあるため、手にミトンを付けたり、抑制帯を付けたりして身体拘束を行っている方もいる(これは意識障害がみられている方にも行われる)。ただし、山田さんは穏やかな方であるため、ただ車いすに座ってリハビリ室に来室される。
「山田さん、こんにちは。リハビリの中原と申します。足の運動を一緒にできればと思いますのでよろしくお願いします。まず、場所を変えるので車イス動かしますね。」
「こんにちは、こちらこそよろしく。」
 山田さんは両耳難聴であるため、私は少し大きめの声であいさつをする。山田さんのリハビリ介入は今日で五回目であるのだが、私が誰で、この部屋がリハビリの部屋ということも理解はできていない。そのため、介入前は毎回オリエンテーションを実施している。
 この山田さん、もともとは伝い歩きでご自宅の中を移動していたのだが、リハビリ介入時は平行棒の中で両手を掴みながら歩くのがやっとのところまで歩く能力が低下していた。この要因として筋の不使用、つまり廃用症候群が挙げられる。人間の最大筋力は一週間の不使用で十~十五%低下する※8と言われているのであるから、恐ろしいことである。そのため、病気によって筋力が無くなってしまうだけでなく、ずっと寝ていることによっても筋力は落ちてしまうのであるから、その部分を防ぐよう、早い段階からリハビリを開始し、筋力の維持に努めるということも私たち理学療法士の役割の一つである。
 今は平行棒の中で歩行練習を行っているところである。現在はだいぶ歩く能力は改善してきており、平行棒の中で片手を掴めば歩けるようになってきている。しかし、疲れやすさは残っており、軽く息切れがみられたため休憩をすることにした。
 すると、山田さんは私に話しかけた。
「私はね、座右の銘ではないけれども、大切にしている言葉がありましてね。」
 実は、この言葉を聞くのは三回目である。しかし、人生の先輩から後輩に向けて頂くありがたき言葉を遮るほど、リハビリの時間は短いわけではない。
「そうなんですね。なんていう言葉なんでしょうか?」
「  “日照りのときは涙を流し
   寒さの夏はオロオロ歩き
   みんなにデクノボーとよばれ
   ほめられもせず
   苦にもされず
   そういうものに私はなりたい“
というものなんですけどね。これは宮沢賢治の“雨ニモマケズ”の末尾の語なんですけれども。この言葉はねー、すごいですよ。褒められない人に私はなりたいと言っているわけですから。人は誰しも他人の評価を気にして褒められたい、貶(けな)されたくないと思うわけではないですか。そんなものを超越した人になれと、この言葉にはそんな意味があると私は思うんですよね。」
 名言である。ただ、山田さんの人生の三分の一程度しか生きていない私にはこの名言に対応する術(すべ)はなく、
「そうなんですね。すごい言葉ですね。」
 としか返せない。
「宮沢賢治は三十七歳という若さで亡くなっているんですよね。壮絶な生き方をしたからこそ、”雨ニモマケズ”のような言葉が思いつくのだと思います。私のような年寄りには思いつきません。」
「いえいえ、そんなことないですよ。まず私は、”雨ニモマケズ”なんて冒頭の部分しか知りませんでした。それに、宮沢賢治の意図を読み解ける山田さんは博識で私にとっては先生みたいです。」
「私は先生なんかではありませんよ。でも、そうやっていっていただけると嬉しいですね。」
 “先生”という言葉は私のような理学療法士に使う言葉ではない。むしろ“先生”という言葉が“先に生まれた人“のことを差すのであればそれは患者さんの方である。
 認知症による記憶障害は原因疾患によって症状が異なるが、アルツハイマー型認知症の場合、数分から数カ月前くらいまでの最近の記憶である“近時記憶”が障害される※9。また、記憶の内容としては、食事をした、どこかへ出かけたなどの個人的な体験の記憶である“エピソード記憶”が障害されやすい※9。一方で、長年体で覚えた楽器の演奏や裁縫、米をとぐなどの技能の記憶である“手続き記憶”や一般的知識である“意味記憶”は障害されにくい※9。
つまり、若いころどんな人生を送ってきたのかということを覚えている方もいらっしゃる。このような記憶は、今を苦悩しながら生きている若者にとってはありがたい助言である。また、高齢の方のお話を伺うと、戦後の日本という国がまだなにも整っていないような時代を生身で感じた体験を伺うことがある。これは歴史の教科書に載っていない先人の貴重な知識である。認知機能が低下しているからと言って、一辺倒にコミュニケーションが取れないと判断するのは間違いなのである。
 理学療法士として認知症の方と関わる場合、時に精神的苦痛を伴うことがある。例えば、運動指示が入らなかったり、セラピストに非がなくても怒り出してしまったり、リハビリをしたくないと拒否されることがある。だからと言って、認知症だから何をやっても意味がない、いい加減に接すればよいというわけではない。このような考え方は介護に疲れたご家族がそう考えることは一理あると思うが、医療者の立場としては間違った考えである。この人の人格に非があるのではなく、認知症という病気による人格変化であるということを理解しなければならない。そして、当たり前のことであるが、認知症だからといって区別せず、他の病気と同じように病気のことを理解して、その人の個性・キャラクターを踏まえて一人の人間として接し、リハビリを実施することが大切なのではないかと思っている。
 また、私達が行う理学療法によって、歩行能力が改善し、それが原因で勝手に歩きだしてしまったり、お一人で歩いて転んで骨折してしまうこともある。これは理学療法士として身体機能を向上させ、その方の社会生活の充実を目指したはずなのに、全く逆の効果として表れているということなのである。そのようにならないよう理学療法士はその人の認知症の症状を理解して、病棟と情報共有を行い、対象者やご家族のニーズに応えながらリハビリを行っていく必要があるのである。
 この後立ち座り練習、実際に壁を伝いながら歩く練習をして、山田さんの本日のリハビリを終了した。

※6 認知症|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省 (mhlw.go.jp). https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_recog.html 参考
※7 認知症診療ガイドライン2017_100_第1章.indd (neurology-jp.org).
https://neurology-jp.org/guidelinem/degl/degl_2017_01.pdf 参考
※8 中村隆一,他:基礎運動学,第六版,補訂.医歯薬出版株式会社, p88.2012
※9 尾上尚志,他(監),医療情報科学研究所(編),病気がみえる,vol.7,脳・神経,第2版. p426,2017 参考

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