改良を重ねた結果、何を私たちは得たのか。
先週末からサロンワークの合間に、音響現場のサポートや、酒場の女将をしてきた。
そこで出会った人々と話をしてて思った。
元々、どんなものでも最新機種に魅力をあまり感じないタチなんだけど、なんで自分がそうなのかがここ数日間でわかった気がした。
最近、伝統的な建造物の建て壊しが話題にあがる。
状態にも問題はなく、歴史的な建造物として保存されてきた。
詳しいことは分からないけど、自宅も古い中古物件だったので、昔の家って柱も立派で、大工さんの職人技だったり、それぞれの建具職人の細やかな作りで、丈夫な家である。
瓦屋にいた人とも建造物取り壊しの話をした。
耐震性が問題で取り壊すのかな?
と疑問を投げかけてみた。
東日本大震災だったか、阪神大震災だったか、記憶は曖昧だけど、耐震性の基準はその時から緩くなってると。。。
地震で家が壊れたのに、耐震性が緩くなるって??
『安く、早く、たくさん』家を作らないといけなかったから。
なるほど。。。
あまり納得は出来ないけど。
車の整備をしてる人と話をしたら
『平成○○年製まではいじれるけど、それ以降は僕は触れない。電気系統がメインになってくるから。昔の車は壊れにくくて長く乗れた。でも最近の車は電気がやられたら使い物にならない。パーツ自体もすぐには手に入るものでは無い』
なるほど。。
ステージに関わる機材でもやはり、昔のものの方が名機と言われるものが多い。
ゴツくて重くて場所をとったりするけど、使い方はシンプルで温かい音や灯り。最近の機材は重さや使いやすさなどが改良されてたりはするもののデジタルの卓はデータがぶっ飛ぶとただの箱でしかない。そこからの復旧にかなり精神的エネルギーと信頼も消費する。(そんな現場に居合わせた事がある。)
照明もそう。LEDで省エネ長持ちになったけど、目に与える刺激は強くて、疲れる。
これらの物の改良は結果、
誰のためになっているんだろう??
もちろん、恩恵を受けているものもあると思う。
ただ、使う側が”ラク”や”チープ”を求めすぎた結果、自分たちの五感がだいぶ鈍ってるんじゃないか、、、
というより、五感を試す、使う機会が減っていってて、昔からの知恵も引き継がれる機会が失われ、動物本来の力が活かしきれてないんだと思う。
先日、かまどで米を炊く【おくどさん体験】というのをしてきて、ここ数日間で感じていたモヤモヤが、コレだ!!と、思った。
昔の人たちの五感を生かした生活の一部だけだけど体験できて感動した。
おくどさん体験は
薩摩川内市 樋脇町 市比野温泉街にある
原田米店さんにて体験できます
米の研ぎ方とか、時間のまち方が知れるのかなぁと思ってたら、昔ながらの道具の良さや火の焚き方、それによって生まれるコミュニティの会話だったり、昔の人の知恵をたくさん教えてもらえました。
火のもちや火力の強さで味が変わる
炊きあがりを時間だけでなく、湯気の上がり方、音と匂いで判断する
昔の人は五感をフルに使ってご飯を炊いていた
今は研いで、炊飯器に入れてボタンを押すだけ。
かまどで自分で炊いたご飯と、おばぁちゃんが作ったお味噌汁の味が懐かしくて美味しくて、感動で、涙が出てきました。
便利さと利益を求めすぎて、私たちが失ってきたものは大きい気がして。
昔からある私たちに大切なものを伝えようとしている人達が、たくさんいる。出会えてないだけでまだまだいると思う。
目に見えるものだけが真実とは限らない
それを見失わないように、自分の五感を信じれるように生きていたいと改めて思った、暑い日差しと秋風が共存してる今日この頃。
やっぱり私は田舎が好き。