改めて2023年の抱負ーただ、毎年先送りしてきた「課題」にすぎないが

1.はじめに

一応、既にFacebookには新年の目標を述べた。嘘は言っていないが、ややウケ狙いにはなってしまったと思う。新年になってめでたい気分のまま、勢いで書き込んでしまった感じがある。新年から1週間が経ち、やや気持ちも落ち着いてきた。「前言撤回」はしないが、改めて2023年の抱負を語りたいと思う。

2.2022年を振り返ると出てくる結論

まずは、2022年を改めて振り返ってみると、「学びの貯金」が尽きてきたと個人的には感じている。「銀行預金」は、もともとほとんどない。それは確かだが、言いたいことはそういうことではない。大学を離れて、15年以上経った。極端に言えば、この15年間は、「学生時代に学んできたこと」を土台に、社会生活を送ってきたと思ってきた。しかし、その時に得た「学びの貯金」が尽きてきて、新しい世界へ飛び立つ上で、不安要素になっていると、最近感じている。

一応言っておくと、「学生時代に学んだこと」に、学問的なものはほとんど含まれない。私は確かに大学院に所属し、学者を目指していたが、そちらの勉強は正直疎かにしていた。少し述べたことがあるが、私は、同志も持たずに「オタク的」課外活動に熱中していた。その活動から得た知識なりが、社会に出た時に、むしろ役に立ったと思っている。それを土台にして、経験を重ね、「わずかながらの」精神的成長には貢献したと思う。

しかし、本当に末端にすぎないが、社会に出て曲りなりに15年ほど過ぎた。「学生時代に得た知識」は、経験を重ね、かなり自分の内面に浸透してきたと思う。一方で、かつて得た知識の「幅」に、思考が限定されるようになってきたことを感じている。

だからこそ、今私が強く感じているのが「力を蓄えたい」という思いである。具体的には、「学びのアップデート」をしたいと思っている。それにより、再び「学びの貯金」を積み上げたいと思う。そこで出てくる、2023年の抱負は、次の通りである。

「今年は、学び直しの年にする」

私は打てばすぐに響くタイプではない。響くまでに時間がとても掛かるタイプである。牛歩のごとき人生を歩んでいる。だから、「打つ」時には、ある程度「集中的に」「打つ」必要がある。それにより「学びの貯金」ができてはじめて、私は「新たな世界」に思い切り飛び出していけるのだと考えている。

3.さいごに

一つ課題を挙げるとすれば、今の私は、かつての私とは違って、「心底」学びを求めていないということであろうか。かつての学びにより、私は、ある程度は「世界観」を築くことができた。そういう意味では、かなり「満足」している。それなのに、あえてそこを飛び出してまで、「本気で」学ぶのかどうか、自分でも疑っている。しかし、先を見据えて「理性的に」考えた時には、そのような自分を乗り越えない限り、「学びの貯金」は早晩尽きてしまうだろう。

「学び直す」という抱負は、言葉としては容易に感じるが、実行するのは意外と難しい。ここ数年は、ずっと実行できずに、無為に過ごしてきたと言える。そういう意味では、今年また「先送り」にすれば、どのような形をとるかは分からないが、納得いく人生は歩めないだろう。

「学び直す」。必要性を感じていない自分と、必要性に駆られている自分との「せめぎ合い」は、今年1年ずっと続いていくであろう。

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