半端者mk@日本腰抜け党仮代表

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最近の記事

擁護?のち批判ー某ロックバンドミュージックビデオ配信停止事件について試論

要約 「ミセスグリーンアップル」は悪い。しかし、それは、彼らのアーティスト性や人間性に起因することではなく、ただ単に無知だっただけである。だから、彼らには、この失敗を糧にしてもらいたい。そのためにも、無知ゆえの失敗を認めるのが、表現者たる姿勢である。 しかし、コメントからは、そういう姿勢が感じられず、そこには失望した。ただ、本当に失望したのは、ユニバーサルミュージックである。矢面に立ち、彼らの「再起」を支援しろよ。 前提:表現者とは?表現するとは? 前提1:全知全能で

    • 私は肉体改造に着手する……かもしれない

      0.はじめに 「肩肘張る」=「(無理に肩肘を高くして身構えることから)気負う、いばる」(出典:デジタル大辞泉らしい) 1.きっかけーー前日理髪店で散髪したこと 私は、昨日理髪店で散髪しました。美容院でないのは、散髪やシャンプーだけでなく、マッサージのサービスがついているから、ですかね。いつも通り、短めに髪を刈ってもらいました。 問題は、その後起こりました。肩を中心にマッサージしてもらいました。肩が凝っていること、半端なかったです。もちろん、スタイリストさんは、プロの整

      • 2024年1月「ふせん」読書の記録

        1.2024年1月ふせん読書結果 着手:9冊 読了:5冊 仕掛り:4冊 2.2024年1月着手 9冊 A:井筒俊彦『意識と本質ー精神的東洋を索めてー』(岩波文庫 1991年第1刷) B:中村元『原始仏典』(ちくま学芸文庫 2011年第1刷) C:イターシャ・L・ウォマック著『アフロフューチャリズム ブラック・カルチャーと未来の想像力』(フィルムアート社 2022年初版) D:瀬戸賢一『よくわかるメタファー 表現技法のしくみ』(ちくま学芸文庫 2017年第1刷) E:ジェ

        • くだらない戯言2:ガーデニングという例えはできるけれども

          よく、ポジティブな言葉を口にし続ければ、願いはかなう、と自己啓発系書物には書いてある。原理上、私は、間違っていないと思う。でも、実際には、そうは問屋は下ろさない。それは、なぜなのだろう。理由は、簡単である。このテーゼには、避けがたい「大前提」があるのだ。それは、「心の底から」ポジティブな言葉を口にしていれば、という大前提なのだ。「心の底から」ポジティブでなければ、口にしたポジティブな言葉は、口先三寸の「嘘っぱち」でしかない。むしろ、ネガティブな言葉にすぎないのだ。それでは、願

        擁護?のち批判ー某ロックバンドミュージックビデオ配信停止事件について試論

          戯言1:私というひねくれ者

          私は、かなりひねくれた思考の持ち主である。それは、間違いない。というか、そうだと確信せざるを得ない。 例えば、私は、どう取り繕っても、男尊女卑主義者である。これは、生理的に、仕方ないことなのである。なぜならば、私は、生物学上の性をそのまま受け入れているからである。そこには、一切の屈折もない。これは、どう自己分析しても、否定しようがないという結論に達している。また同時に、私は、自分勝手な「自分第一」主義者である。これもまた、生理的にどうしようもない。まとめれば、「自分勝手な私

          戯言1:私というひねくれ者

          「ラブコメディー」という枕詞はありえないーーテレビ局はニュース一つ、まともに作ら(れ)ないのか?

          0.はじめに あくまで、私の聞き間違いの可能性はあります。朝、あわただしく出勤する準備をしていた中で、ふいに聞こえてきたからです。ただ、これが聞き間違いだとないとすると、これほど「白々しい」ご冥福をお祈りします、という言葉はありません。聞き捨てならないので、投稿します。 1.前提 私は、これから話題にする『セクシー田中さん』の原作も、ドラマも全く見ていません。だから、このような結果を招いた「いきさつ」については、よく分かりません。ただ、報道を「断片的に」聞いている限り、

          「ラブコメディー」という枕詞はありえないーーテレビ局はニュース一つ、まともに作ら(れ)ないのか?

          三法師と徳川家康ー私自身見たり見なかったりだが大河ドラマ『どうする家康』を擁護してみる2

          1.「三法師」織田秀信と徳川家康ーある歴史的事実を可能な限り淡々と語る 織田秀信は、幼名である「三法師」と言った方が通りがいいかもしれない。信長の嫡男信忠の嫡男、つまり信長の嫡孫にあたる。言うなれば、織田家の「プリンス」である。実は、本能寺の変では、信長だけでなく、嫡男信忠も、明智方に討たれている(個人的には、信長最大のしくじりだと思っている)。彼は、物心つく前に、祖父と父親を喪ったのである。その時点で、波乱万丈の人生が予想されるが、そこは今回省く。問題は、彼が成人した後に

          三法師と徳川家康ー私自身見たり見なかったりだが大河ドラマ『どうする家康』を擁護してみる2

          私の名は「○○」ー予想外の贈り物をもらった件

          0.はじめに 一応自己紹介をしておく。私は、都内のあるオフィスビルで、施設警備員(もちろん非正規)をしている。本稿は、ある職務で起こった出来事について、断片的に触れたものだ。 1.ある夜の出来事 ビルテナントの「ある企業」社員たちが、ビル内で飲んだ後、ビルの周囲で乱痴気騒ぎを起こした。そのなかで、ビルの備品が「微妙に」(訴えるほどのものではない)破壊された。 2.翌日の防災センター 上司「君はハイエナみたいだから、嗅覚が利くだろう。防犯カメラで、証拠映像を集めておい

          私の名は「○○」ー予想外の贈り物をもらった件

          私にとって、歴史「教科書」ほどのエンターテイメント本はない。

          歴史の授業はつまらない、とよく言われる。それも理解できなくはない。その原因として、歴史教科書の「無味乾燥さ」が言われる。それも理解できなくはない。しかし、だからこそ、私にとって、歴史「教科書」は、最高のエンターテイメント本になり得た、とも言える。 それならば、私にとって、歴史教科書はどういう位置づけだったのか。それは、一言で言えば「(日本の/世界の)芸能人大名鑑」である。言い換えれば、「私の推し」を探すための「ガイドブック」なのである。 では、どうやって「推し」を探すのか

          私にとって、歴史「教科書」ほどのエンターテイメント本はない。

          歴史学と歴史物語ー大河ドラマ『どうする家康』の古沢良太氏脚本について

          1.はじめにーほとんど「観てもいない」ドラマについて語る動機 私は、本稿のテーマである大河ドラマ『どうする家康』をほとんど観ていない。大体、同時間の『日曜美術館」を選んでいるためである。以下で述べることは、あくまで「あらすじ」を読んだだけの感想にすぎない。それは、最初に述べておく。 私の評価を最初に述べると、史実としてはまずありえないが、これはこれでありなんじゃないの?というところである。史実(とされていること)を踏まえつつ「大胆に脚色」していて、「物語」としての勢いを感

          歴史学と歴史物語ー大河ドラマ『どうする家康』の古沢良太氏脚本について

          私は生まれながらの敗者であるーその「好奇心」が命取り

          致し方ないことだ。気づくのが遅すぎた、というべきであろう。私は、自分の志向から、生まれながら敗者になるべく、生きてきたのだ。確か、「負けに不思議な負けなし」というようなことを、故野村克也氏が述べていたと思う。まさに、その通りだ。 私は、好奇心が強い方だと思う。それ自体は、悪いことではないと思う。しかし、好奇心こそが、「私を敗者へと導く」要因だったのだ。私は、私なりに好奇心を示してきた。それなりに、多くのものに触れてきた、とは言えるとは思う。それ自体は、全く問題ない。むしろ、

          私は生まれながらの敗者であるーその「好奇心」が命取り

          ただ泣きたくなるの

          中山美穂さんではないが、今そんな気分である。私は最近、「あるテーマ」に固執している。本日の午前中は、ずっと「そのテーマ」について頭を巡らしていた。その時は気づかなかったのだが、先ほど夕食を食べていたら、ふと「あること」に気づいてしまった。 もちろん、その「あること」は、私の解釈にすぎない。それが正しいという保証はない。しかし、私の解釈通りならば、あまりに重く、辛い気持ちになる。私自身の人生とは全く関係がないが、それを「知ってしまった」以上、平気な顔をしていることはできない。

          本来ならば、私のすることではないー「誰も」望んでいない決意表明

          確かに、その通りなのである。私は「その道の」プロではない。そもそも、目指そうと思ったこともほぼない。本来ならば、「私がやろうとしていること」は、私のような馬の骨ではなく、「その道で」実力も経験も兼ね備えたプロたちがやるべきなのである。 しかし、残念ながら、そういうわけにもいかないのだ。なぜならば、「私がやろうとしていること」が想定している「仮想の敵」こそ、そういったプロたちなのである。彼らは、「束になって」、私が苦々しく思っている状況を作り出そうとしているのだ。彼らの意見が

          本来ならば、私のすることではないー「誰も」望んでいない決意表明

          音楽は世界を救わない、なんて物言いをするから私は嫌われる。

          1.「コアな」音楽ファンが忌み嫌うNGワード ビーイング系、小室ファミリー、メタル。少なくとも、この3語は、日本の「コアな」音楽ファンからは忌み嫌われるNGワードだ。音楽には触れるけど、追いかけたりはしない「ライトな」ファンは、この3語を知っていても、ピンと来ないだろう。また、「コアな」音楽ファンと自覚していても、若い層であるならば、この話は大袈裟に聞こえるかもしれない。しかし、これは事実なのだ。 なぜ、そう言い切れるのか。それは、私が、この3語に分類される(とされる)音

          音楽は世界を救わない、なんて物言いをするから私は嫌われる。

          自分語り1ー2023年3月22日(水)

          0.はじめに WBCで、日本代表が優勝した。結果的に言うと、私は、日本の得点シーンだけはすべて見ることができた。最後まで観なかったが、そういう意味では、まあまあ美味しい場面だけを観ることができたとは言える。 ただ、ここで語りたいのは、WBCについてではない。野球ファンではあるのに、なぜ最後まで観なかったかというと、予定がある程度決まっていたからだ。本日の10時台に、『エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才』(於:東京都美術館)の入場予約をしていたからだ。とりあえず、岡

          自分語り1ー2023年3月22日(水)

          私の身近にいた凄腕プロフェッショナルXさん

          0.はじめに 私自身は、社会に何の利益ももたらさない「クズ」である。しかし、私なりに、所属してきた団体に、微力ながら参加してきたおかげで、友人には恵まれてきていると思う。彼ら/彼女らは、いわゆる有名人でなくても、それぞれの世界で活躍している。私からすれば、頭が下がる存在である。 本稿で紹介するXさんは、私の知り合いの中では、割と最近知り合った方である。彼は40代になったばかりで、私より年下なのだが、うまく言えないが風格があり、個人的には一方的に畏敬の念を感じていた。しかし

          私の身近にいた凄腕プロフェッショナルXさん