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マイ・ライフ・サイエンス(6)「改・光より速いもの」

 私が胎児だったころ、もちろん視覚がダメダメでした。動物も最初は眼がなくて、クラゲから視覚DNAをもらい視覚を獲得しました。
 で、ですね。アインシュタインは光より速いものはないとしましたが、それはもしかすると視覚優先主義に陥っていたのではと思ったりもします。聴覚として聴ける範囲が聴ける音という、ある意味理性主義だったのかもしれません。おそらくここで、数多くのアインシュタイニストが、私をボコボコにするでしょうね。これは、あくまで思考の勉強ということで。
 振動、もしくは母体の中の母の細胞の振動もしくは原子核の周りを回っている電子、もしくは聴覚ではなく何十、百光年先からくる振動を、アインシュタインは省いていたのではないかという極端な仮説みたいなものです。
 科学ならば、この地球にわずか数100万年ぐらいの人類の知覚など横に置いておき、振動の波、もしくは観測機器でしかとらえられない振動ではない極微笑なものはないかと考えて欲しいものです。聴覚では分からぬ、理性主義のグラフでは分からぬ、振動という言葉さえ描けぬ、ドクドク。例えば、シノプシスの動きを光のように描く場合がありますが、あれは光ではなく電気信号のようなものでしょうがどうやら光的なものとしないとアインシュタインには悪いというのもあり、数多くの科学者が、分かっちゃいるのに、それを言うと怒られる的な感じだろうなぁと思います。ま、いつまで、飯を食う為に忖度をやってるんだろうと、それはぜんぜん理性主義でもないのにと、マイ・ライフ・サイエンシストは、不可思議です。
 と、ここまで綴ると、アインシュタイニストは、馬ー鹿ーと叫ぶはずです。実は昔から不思議なのは、ビッグバン直前に光が弾ける宇宙空間があったのかな?という疑問がずっとあります。光は原子や電子より前に存在したとアインシュタイニストは、言いたいのかなぁと。光子は宇宙という「場」があってこその光子だぜ、と考えると、何やら光よりも速いものがあるのではないかと考えたくなります。これはあくまで、常識「光より速いものはない」という考えを当たり前だと考えるのを一旦止めることから考えてみるという思考の練習だと思って頂ければ幸いです。中嶋雷太

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