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私の美(61)「お盆のお線香」

 この時期に台風とは…京都の送り火はなんとかやれそうなのだろうか、と心配しています。
 さて、「美」についての本をあれこれ読んでいると、その大半は視覚優先主義に陥っているようです。例えば禅庭。そこに漂う光や風、そして木々のざわめきやお堂の香りなど、全感覚で禅庭が語られることはあまりないようです。バルセロナのサグラダファミリアのドキュメンタリー番組を見ていると、1882年に着工されてからのサグラダファミリアの建築史やその外見ばかりがフィーチャーされていて、カタルーニャ地方に築かれている意味やカタラン(カタルーニャ人は自分たちのことをカタランと呼びます)たちにとっての意義などはあまり語られず、さらに赤煉瓦を基調とした、そして東へと地中海に面した港へと下るバルセロナの街並みから見えるサグラダファミリアについてなども語られることはないようです。
 と、お盆に線香をあげていると、「線香をあげる」ことが、とても美しいものに見えてきます。
 お盆という時期に、亡父や亡母の写真を取り出し、線香をあげるという、なんでもない所作なのですが、お線香に火をつけ、輪をチンと鳴らして手を合わせると、お線香の香りが鼻腔に広がり、心安らかになります。
 やがて、お線香の香りが部屋に漂うと、「今年もお盆だなぁ」とひとりごちます。
 この庶民の、毎年繰り返されるとても小さな所作ですが、何十年も一緒に生きた人(亡父と亡母)の死をあらためて感得し、自分のこれからの生を改めて考えることに繋がっていくようです。
 お線香をそっとあげるのは、日本の庶民史のなかで、何百年も受け継がれてきた文化ですが、喜怒哀楽にまみれた現実的な生活意識からふと離れ、生きることと死ぬことを、そこに分け目を設けずに改めて感得する瞬間なのかもしれません。
 そして、今年もまた、お盆に京都には帰京できず、送り火を見ることも叶いませんが、私は東京の自宅でお線香をあげ輪をチンと鳴らし、手を合わせます。中嶋雷太

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