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悲しきガストロノームの夢想(73)「鯖のムニエル。そして、私はヴィトー・コルレオーネになる」

 湘南の江の島近くに片瀬漁港という漁港があり、春先から晩秋まで月に一度ほど朝獲れ市が開催されていて、ご近所の私は毎回顔を出すようにしています。その日の朝に獲れた鮮魚が販売されるので、その日にならないとどんな鮮魚が売られるのかは分かりませんが、それはそれで楽しみでもあります。
 12月の朝市では、墨烏賊やハマチ、そして鯖を購入しました。特に鯖は胴体がまん丸くて生きが良く、値段も一尾二百円ほどでしたから、「おぅ!」と小声で叫ぶや三尾を手にしてお会計を済ませました。お会計が終わり漁師のおじさんたちに三枚におろしてもらって帰宅するや、出刃包丁片手にキッチンで小骨を取り除きさらに小分けにして直ぐに冷凍保存をしました。
 なんでもかんでも「新鮮だ!」というのが流行っているようですが、もちろん新鮮なのも美味しいのですが、鮮魚は熟成させるのも旨味が増して美味しいものです。ただし、魚ごとに熟成方法や期間は異なるのだろうと思います。
 今日のランチには、冷凍庫から鯖の切り身を出し、しばし自然解凍させてから、鯖のムニエルを調理しました。ペーパータオルで余分な水分や血を取り除き、身に塩胡椒と片栗粉をつけてフライパンでカリッと焼くだけで、美味しいムニエルが完成します。ポイントは、解凍タイミング、余分な水分などの除去、塩胡椒と片栗粉の分量、そして焼き方です。これらはすべて私の勘でしかありませんが、何度か調理を重ねているうちにベストなコツを掴んできたのだと思っています。
 この、なんでもない、手軽に調理ができる鯖のムニエルなのですが、外食で食べたことがありません。ムニエルといえば舌平目のムニエルが何故だか有名なのですが、鯛でもスズキでも鰤でも、なんでも良いはずなのですが、手軽で安価に調理ができるこの鯖のムニエルは、まったく顧みられていないようです。Googleで調べてみると海上自衛隊のホームページに海上自衛隊阪神基地隊のレシピとして取り上げられていたので、海関係の方々には知られているのが分かる程度です。
 おそらくですが、肉食ならぬ魚食文化が伝統的にある地中海では、庶民の料理の一つとして調理されてきたのだろうと推測はしていますが、訪ねたことのえるバルセロナやマルセイユやモナコやナポリでは出会ったことがありません。あまりにも、庶民的過ぎて、外食用レストランのメニューに掲載するような料理ではなのかもしれませんね。ただ、これまでの鯖のムニエル調理の経験から、オリーブオイルとニンニクと唐辛子は欠かせませんから、オリーブオイルが収穫できる地中海ならきっと美味な鯖のムニエルが食べられるはずです。唐突ですが、映画『ゴッド・ファーザー』シリーズが好きで、スパゲッティを乱暴に茹で、トマト缶を開けてソースを作るシーンは登場しますが、食にうるさいはずの南イタリア人たちの食の姿があまり描かれてはいないので、残念だなぁと思ったことがあります。この映画の主人公、マーロン・ブランドが演じるマフィアのボス、ヴィトー・コルレオーネがトマト畑で倒れ亡くなるシーンがあります。乾燥したトマト畑で南イタリア出身のヴィトー・コルリオーネが倒れ伏し(そして土に還る)ます。このシーンは、映画『ゴッド・ファーザー』の数あるシーンの中でも大好きなシーンの一つです。食ではありませんが、「乾燥したトマト畑」であることの意味を深く考えた私です。
 オリーブオイルは必須だと書きましたが、我が家には特製のオリーブオイルがあります。大量のハラペーニョとニンニクを漬け込んだオリーブオイルです。このオリーブオイルを、熱く熱したフライパンに多めに入れ、片栗粉をまぶした鯖の切り身を静かに寝かせ、フライパンの上に蓋を置きます。鯖の切り身は、最初は身の方から。身が焼けてくれば裏返して皮の方を焼きます。パチパチと油煮のように鯖が焼かれていくと、後は火加減と裏返すタイミングに集中します。換気扇が回る音と、鯖の切り身がオリーブオイルで小さく爆ぜる音が合わさってくると、私の聴覚の奥深いところにある古いレコードから映画『ゴッド・ファーザー』の「愛のテーマ」が流れ出てきて、私はヴィトー・コルレオーネの化身となります。鯖のムニエルとは、私にとって、そんな料理なのかもしれません。中嶋雷太

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