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マイ・ライフ・サイエンス(4)「小学三年生の男の子がいかにして予想天気図にのめり込んだのか、または怨念を知った子供の行く末…」

 「仕方がないでしょ!」と、母はつくづく面倒だなという顔で私に言った。それは雨で遠足が無くなった朝のことでした。「これで何回目だ!」と私は雨がしたたり落ちる空を睨みつけていました。遠足だけでなく、林間学校、スキー、運動会…等々、楽しみにしていたイベントがことごとく雨のせいで無くなったり、順延していたので私の怒りは沸々と湧き上がり収まることがなかったのですが、自然の摂理にはどうしようもないまま雨天を睨んでいました。
 「明日の球技大会はどうだろう」と父が観るテレビの天気予報を睨んでいたことがあります。現在ほど精度は良くなく、予報が外れることも多々あり、「なんだかなぁ」観を抱えて観ていた記憶があります。
 気象庁のウェブサイトによれば、1883年(明治16年)に天気図を作成し毎日印刷をし配布が始まりました。それから約100年後の1978年(昭和53年)に初の静止気象衛星GMS(ひまわり)で観測開始。2015年(平成27年)に静止気象衛星ひまわり8号、翌2016年(平成28年)にひまわり9号が「静止地球環境観測衛星」として稼働します。このひまわり8号と9号は優れものらしく「ひまわり8号・9号では、静止衛星から見える範囲の地球全体の観測を 10 分ごとに行いながら、日本域と台風などの特定の領域を2.5分ごとに観測することができます。 さらに、空間分解能は可視で 0.5km ~ 1km、近赤外と赤外で 1km ~ 2km となっています」とのことです。
 とはいえ、気象庁や天気予報のお兄さんお姉さんには申し訳ないのですが、かつて怨念を抱いた元少年は、天気予報の言葉をすぐには信じられなくなっています。
 もちろん、数十年前と比べて、天気予報の精度は格段に上がったはずだと理解はしていますが、そのアウトプット、つまり明日の天気予報の言葉を訝しんでいます。
 一つには、その言葉が示す地理的範囲での天気予報があまりにもザックリとしているからです。私が生まれ育った京都市を例にあげると、京都市は「京都南部」として天気予報が伝えられます。ところが、京都市でも洛北と洛南では実際の気象には差があり、東山と西の嵐山や松尾や桂の方でもその差は歴然としてあります。私がいま住んでいる東京都にしても西の多摩地区と都内の差は歴然としており、都内でも、西の世田谷区、北の練馬区、東の江戸川区、そして南の江東区でもその差はかなりあると思います。もちろん、Weather New sなどのお天気アプリでピンポイントの天気予報を確認していますが、それでも、かなり疑わしいことが多々あります。
 もう一つ付け加えるならば、例えば、「明日も35度の猛暑日なので、熱中症にお気をつけください」とテレビのアナウンサーや天気予報士の方が丁寧に危険への対処を呼びかけられますが、怨念を抱いた捻くれ者の元少年は、「そんなに熱中症のことを心配するなら、実際の予想体感温度を示さないのはおかしいだろ」と叫ぶわけです。猛暑日とされる日に新宿や渋谷などの路上、アスファルトの上で歩けば、体感温度はきっと40度近いわけで、百葉箱で観測されるだろう予想気温を示すだけでは熱中症を心配しているとは思えないのです。
 さてと、風の強さや風向きなども含め、怨念抱く元少年は、どうするかというと、予想天気図を読みます。この数十年予想天気図を読み続けてきたので、テレビでの「明日の天気」予報が怪しいと思えば、予想天気図を読み込み、自分なりの予報をたてます。この「怪しいな」という勘は意外とあたっているので、怪しいポイントに自分の読みをつけ足し翌朝を迎えます。
 こうして面倒なタイプとなった怨念抱く元少年は、今日もまた、夕暮れ近くになると、明日の予想天気図を読みながらニタニタしているはずです。中嶋雷太

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