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私の美(41)「CB750Four」

 高校生時代というのは、世界観はとても狭いもので、その狭い世界観に巣食う価値観もチンケなものだと、今となっては思います。とはいえ、そのチンケな価値感も突き詰めると深くて広くなる、コンソメスープの素のようなものであるのは確かです。
 高校生時代、バイクにのめり込んでいた私は、オフロードバイクのホンダXL250やオンロードのヤマハRZ250などを乗り回しては喜び楽しんでいました。夏休みと冬休みになると、時給が半端なく良かった中央卸売市場で、競られた魚の木箱や発泡スチロールの箱を運ぶアルバイトをせっせとしてお金を貯め、バイクにつぎ込んでいました。一部はギターやLPに消えていました。学校の勉強はおろそかでしたが、内燃機関の勉強などに集中し、自宅前でバイクの調整をしては、楽しんでいました。
 その頃の、私の狭い価値感、そしてバイク友達と共有していた価値感では、ホンダのCB750Fourを手にするのが、人生最高峰だという位置付けでした。
 排気量が750ccだからとか、高額だからということだけではなく、バイク友達とは、その鉄のフォルムの「美」を共有していたのだと思います。機能美を研ぎ澄ませた最高峰のバイクとでも言えば良いのかもしれません。
 今では、残念ながら、本物を手にすることはできませんが、CB750Fourのモデルを時に手に取っては、四気筒のエンジンから後方に伸びていくラインを眺めては喜んでいます。
 コンピューター機能などなく、ただただ鉄とガソリンだけで基本的に動くのが本来のバイクなのだよなぁと、美しいよなぁと、今朝もCB750Fourを手にする私です。中嶋雷太

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