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音楽があれば(15)東海道新幹線のチャイム「『AMBITIOUS JAPAN!』と『いい日旅立ち』」

 今日7月21日の始発から、東海道新幹線のチャイムがTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」からUAの「会いにいこう」に変わったという報が届き、東海道新幹線を巡るこの20年余りの私の心象風景がすっと閉架書庫に納められたような気になりました。
 2003年にL.A.駐在を終え久しぶりに帰国した直後のこと、京都の実家の父の訃報が午前2時過ぎに入りました。翌朝、東京駅の始発に乗り京都で葬儀などを執り行い、数日後東京に戻ったものの、それからの数カ月は一人住まいを始めた母のこともあり週一回は東京⇔京都を往復し、遺産相続やその後の母の暮らしのあれこれに忙殺されました。ちょうど海外出張が立て込んでいた時期でもあり、新幹線の席につくや速攻で睡眠をとっていました。そして、その10年後、認知症気味になった母の介護サポートのため、およそ2年間、毎週東京⇔京都を往復することになり、やがて母も亡くなりました。
 毎月一、二回はあった海外出張の合間に、老いた親の介護の諸々のサポートをするのは文字通り「忙殺」で、物事を理性的に考えることが面倒で、疲労困憊な精神にも亀裂が走りかけていたように思います。
 母の骨箱を手に京都駅を出た新幹線が、東山トンネルを抜けて山科区の盆地に入り、再び新逢坂山トンネルを抜けて山科区から大津へ入ると車窓の北に琵琶湖の南端が見えてきました。昭和初期、母親を亡くした幼稚園児の母は、一時期、鹿児島から滋賀県大津市の膳所に住む叔母さんに預けられていた話を思い出し、人の実人生はたとえその子供だとしても本当は何一つ分かっていないものだとつくづく思いました。多感な幼稚園児の母が遠く滋賀県までやって来て、叔母さんに育てられた日々の感情はどんなものだったのか…。とはいえ、疲れ果てていた私は、関ヶ原あたりを通る前には眠りに落ち、新幹線は気づけば品川駅を通過していました。そして、「いい日旅立ち」のチャイムが私の眠い目を開けてくれました。新幹線を下車し東京駅構内を歩く私は「…いい日、旅立ち、夕焼けをさがしに、母の背中で聞いた、歌を道連れに…」のフレーズを口ずさんでいました。
 そして、「AMBITIOUS JAPAN!」。心折れそうなそうした日々に、小さな元気を与えてくれたのがTOKIOのこのチャイムでした。20代で京都から東京に居を構え、働き詰めの日々は終わることなく、やがて父母の介護や死を経験し心が折れそうな日々を抱え東海道新幹線に乗車するようになりましたが、「AMBITIOUS JAPAN!」のチャイムが後ろざさえしてくれていたように思います。やがて、三回忌や七回忌などを終え、東京⇔京都間を行き来していた忙殺の日々もかなり遠くの心象風景となりましたが、「AMBITIOUS JAPAN!」のチャイムを今でも耳にすると、あの日々を懐かしく思い出します。今日で、それは思い出の閉架書庫のなかに収まりましたが…。
 後日知ったのですが、JR東海の所有車両では「AMBITIOUS JAPAN!」 、そしてJR西日本の所有車両では「いい日旅たち・西へ」のチャイムがそれぞれ使われているようです。
 わずか数秒のチャイムですが、「いい日旅立ち」と「AMBITIOUS JAPAN!」のチャイムのメロディは、東海道新幹線に乗車する人々のあれやこれやの人生の心象風景に寄り添ってきたのでしょう。これもまた、音楽の力ではないかと思っています。
 こうして綴りながら「AMBITIOUS JAPAN!」を聴いていると、過去の記憶の塊がとても懐かしく、私の心に迫ってきます。中嶋雷太

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