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マイ・ライフ・サイエンス(1)「毎日の生活のサイエンス」

 1868年から日本の明治近代化が始まったとして、約150年が経過しました。この近代化を推し進めた近代理性主義による科学的な考え方は現代社会を作り上げるうえでとても有効だったはずです。ただ、その近代理性主義はある種人間性を否定する側面もあるのも事実です。noteでの拙シリーズの一つ「本に愛される人になりたい」の第33話で取り上げた イタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコは「新しい学」という本で理性主義の行き過ぎに警告を発しています。その本が発行されたのが1725年ですから、日本はまだ江戸時代で、明治維新(1868年)の約140年前になります。
 この理性主義の行き過ぎは地球温暖化や戦争や原発問題…等々、様々な大問題を発生させていますが、一方で日常生活の隅々まで浸透しているのも確かです。
 この「マイ・ライフ・サイエンス」では私の日常生活にある身近なサイエンスを紐解いてみようかと考えています。理科の先生が分かりやすく説明し、理科を教えるというようなのも面白いですが、残念ながら教壇目線を引きづっているので、どこかしら硬くて、たとえ優しく噛み砕いて話をされても、ここで言うところの「日常生活の隅々まで浸透している」部分を語るにどうしても教壇から目線は否めず無理を感じます。それは理科の先生にお任せするとして、ここでは何でもない日々の生活の隅っこに転がっているようなものを手のひらに置いてじっと考えるところから見えてくるサイエンス的なものを語れればと考えています。何かの役になど立たない話ばかりだと思いますが、おつきあい頂ければと願っています。実は、そうした目線での語り口に前述した行き過ぎた理性主義の尻尾を手繰り寄せる力があるように思っています。その力のイメージは…例えばですが、素粒子にはクォークとレプトンの二つがあって、素粒子間で働く相互作用に強い力、弱い力、電磁気力そして重力の四種類の力があるのですが、ここではサイエンスの「とっても貧弱な取るに足らない力」の部分を取り上げるようなイメージです。ただ「とっても貧弱な取るに足らない力」ですが、素粒子の弱い力同様、よくよく考えるととても大切なものかもしれません。今回はとりあえず狼煙をあげたわけで、次回からあれこれお話を綴らせて頂きます。次回はおそらく「天気予報図」の話になるかと思います。違ったらごめんなさい。中嶋雷太

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