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生まないことこそ本当の愛?

人にとってこの世に生まれ落ちるということは、すなわち苦痛の始まりであり、
子どもを産むということは、(大切で、愛してやまないはずの)子どもを、残酷な世界の中に誕生させてしまい、今後死ぬまでの100年弱の間、苦しめ続けるということと同義である。
たとえ決して犯罪を犯すことはなかったとしても、自らの手で子を産み落とした時点で、1人の人間を大いに苦しめているわけである。重たい罪だ。

子どもを「レガシー」として表現したブロガーの言葉をここに引いておく。
「レガシーとは先代の人間が遺したものであり、残酷な言いかたをするならば、老人のワガママのカケラである。」

本当にその通りだ。
私は、私の両親のワガママの結晶だ。
両親は私を勝手に作って勝手に遺して、去っていく。
遺された私は、死ぬまで頑張らないといけない社会のゲームに否が応でも参加させられる。
無責任すぎる。

「人間は、楽しいことだけではなく辛いことも経験して初めて人として成長する。それは喜ばしいことであり、苦を知り成長することは尊ぶべきことである。」的な言説は、世の中の大人達が、残酷な世界に子どもを産んでしまったことを正当化するために使う、とっておきの口うるさいお説教なのである。

わざわざ産んで苦労させてるのはそちらなのだから、責任もって楽して生きて死ぬためのルートくらい用意しててくれよ。と思ったり。

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