見出し画像

「作るもの」と「創られるもの」 [16]


16.教会が誕生するまでのイエスと弟子たち  [2]


次の視点は「弟子たちの人間関係」です。

そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
マタイ 16:18

神の意志は、弟子たちを用いて、この世に、死に対しても勝利する「教会」を建て上げていくことです。

けれども、弟子たちに「教会を建て上げよ」と、イエスは言われませんでした。

また「全世界に教会を増やせ」とも言われませんでした。

むしろ、

「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
ヨハネ13:34、15:12、15:17

と、言われました。

しかしこれに対して、「弟子たちは?」と言えば、彼らは何度も競い合い、言い争いや議論が絶えませんでした。

マタイ16:7、20:20-28
マルコ8:16-17、9:33-37、10:35-45
ルカ9:46-48、22:24-27
ヨハネ13:5-17

ほかの十人はこれを聞いて、この二人の兄弟に腹を立てた。 マタイ20:24

来る途中、だれが一番偉いか論じ合っていた  マルコ9:34

弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。ルカ9:46

彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。 ルカ22:24

弟子たちは、イエスが十字架に掛かる直前の最後の晩餐の後にも競い合い、議論していました。

ルカ22:22-24
「人の子は、定められたとおり去って行きます。しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。」
そこで弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんなことをしようとしているのかと、互いに議論をし始めた。
また、彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。

イエスは、弟子たちのグループを用いて、互いに愛し合う教会の建て上げを決意されていましたが、イエスが十字架に掛かるまでの約3年半、弟子たちはイエスのそばに居ながらも、御心から離れていたことがわかります。

弟子たちのヒューマンスキルや対人関係構築力では、神が望まれる教会を築くことは出来なかったのです。

けれども神は、そのような彼ら、競い争い合うような人間関係から、「互いに愛し合う」教会を築いていかれるのでした。

人は、良好な人間関係で事を始めることを願い、また教会内で人間関係が壊れると悲観的になってしまいがちですが、人知を超えた神の愛と知恵は、むしろ困難な人間関係から着手され、克服してしまいます。

これこそ、「神の栄光のため」と言えるでしょう。

しかも、それはイエスの復活後、極めて短期間のうちに、革命が起こるかのように、弟子たちが「互いに愛し合う」関係になっていくのでした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?