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ただ。虚無感を埋めようと必死になっていたんだ

これまで生きて来た人生の中で否定された事や嫌だった自分に会いに行こう。

きっと。そこらじゅうでポツリと立ち止まったままなはずだ。

わたしは過去に人のものをこっそり取ったことがあります。

それは羨ましかったからなのか、それを得る事で不幸せな心の部分を埋め尽くしていたんだと思います。

お菓子など万引きもしました。
その時も同じで失落欠落している感情…生きている中での虚無感を知らず知らずのうちに、とにかく何かで埋める事に必死になっていたんだと思います。

ウソをついたりもそのひとつ。
万引きしたモノを人にあげるのも。
お金も取ったことがあるのも。

取ったお金で遊んだり人に奢ったりして満足感や優越感をそこで感じていました。

今なら分かりますが、そんな事で満足感や優越感を味わうのなんてほんのその瞬間だけの事で、心から満足感や優越感を感じるどころか、その瞬間が過ぎ去ると今度は罪悪感や虚無感にまた襲われる事をひたすら意味が分からず繰り返していました。

今になって分かることがたくさんあります。

自分を大きく見せたりしていたことも。
心の中では

「わたしという存在を誰かに知って分かって欲しい」
「わたしのことを誰でもいいから構って欲しい」

とにかく孤独な心を誰かに埋めてもらいたかった。

幼少期から否定され続けてきた自分を
すっぽり包み込んで欲しいと他力本願丸出しで他人に社会に求め続けてきてた人生でした。

いつしか認められる事はというと
「無理をしてでも頑張ること」でした。

自己犠牲をしてでも人のために役立つのなら本望とも思っていた時期もありました。

大人の顔色だけを見てきたわたしは、人に合わせるのはできたし、
人が今どう言われたいのかを察するのも得意でした。

なんだか瞬時に読み取れる。
読み取りたくなくても読み取れる。

人の相談も聞いて、どう言われたいのかを瞬時に察して伝えると涙を流して喜ぶ人もこれまでもいました。

しかし、わたしが間違っていたのは
相手の事を想ってるというよりも、瞬時に察して伝えれてる自分のことに目を向けていました。

今まで相談してくれていた友達にもごめんなさいと言う気持ちになります。

決して嘘をついてた訳ではないけれど、自分の心を埋める事に繋がっていただけでした。

自分の力で自分の心を埋めることが分からなかった私は、他人の力を借りて自分自身を埋めていたに過ぎません。

だからか。
大袈裟な人 
嘘つきな人
自分のことばかりを訴えかけてきたりアピールしてくる人
悲劇のヒロインみたいな人 

こんな人が大嫌いでした。

投影されていたんだと身に沁みて分かりました。

無意識の中で過去の自分を見ているような気分にもなってたんだと思います。

結局自分のことしか考えれてなかった過去。

波瀾万丈過ぎた自分の人生を憎み悲しむと共に、わたしの目には周りの人達は皆とても幸せに映ってた。

心の奥底で
なぜ自分だけがこんな波瀾万丈な人生なんだと言う思いが本当に強く、表面的には笑って強いフリをして何事もないように生きてきたけれど、心の中はとても醜な過ぎる酷い常態だった。

周りの人を見下し、無駄話しに飽々していた。
友達といっても変に気を遣ってしまうし、瞬時に何かしら感じ取ってしまう事に疲弊してしまうことも多かった。

楽しかったね〜なんて言ってはみるけど、帰りに1人になると一気に疲れが出てしまったりして、結局1人の方が楽だった。
なのに、完全に1人になるのも虚しく寂しい気分にもなって、また誘われたら行くと言う繰り返しだった。

1年ほど前、携帯番号も変えSNSも辞めた。携帯電話の中から完全に行方不明に自らなった。

ほぼ家族としか連絡を取らない状況に、わざと持って行った。

そうでもしないとここまで自分自身を見つめることもなく、ダラダラと何か違う空間の中を違和感を感じながら彷徨い続けていただろうと思う。

まだまだ見つめ直さないといけないこともあるし、もっと自己受容もして、今まで感じてきた空間とはまた違う世界へと自分を連れて行ってあげたい。

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