見出し画像

小説家でもないし、賞をとったこともない僕が小説を書いてどんな価値があるのか?【コラム】

こんにちは。早雲です。

今日はrightbrothersというより、僕個人の話をします。

プロフィールにもある通り、ぼくは大学院の博士課程で微生物の遺伝子の研究をしています。

研究するためには、案外勉強が必要です。

なので、その勉強の結果=生物学の情報を僕が記事として挙げるのは理にかなっているというか、価値があることだと思っています(その大小はともかく)。

なぜなら、研究のために勉強するトピックはわりと細かいというか、ニッチな話が多くなるので、類似の記事が少なくなるからです。

希少性には価値があります(その大小はともかく)。

ですが、このnoteのマガジンでは、その情報を小説として書いています。

なぜ小説家でもなく、受賞歴もなく、文才もさしてないのに、僕は自分の小説をnoteの海に流しているのでしょう?

言い換えれば、いったいマガジン内の小説を読んでくれる皆さんにどんなメリットがあるでしょうか?

少々お付き合いください。

・一つ目のメリット:好きだから。

ただ僕が小説書くのが好きだからです。これは単に僕にとってのメリットですね。

僕は好きなものを3つ訊かれたら、小説、微生物、妻と答えると思います(順不同)。

(たぶん、4つ目以降は散歩とかコーヒーとか映画とか友達とかです)

その3つの中でも小説は抜群に今までの人生の中で付き合いが長いです。

小学校ぐらいの頃から何かお話を書くということをしていて、下手な漫画を書いたり、絵本をかいたりしていました。

記憶があいまいですが最初に書いたのは麻雀漫画だったような気がします。国士無双とかしてた気がします(ちなみに小4の時の誕生日プレゼントが麻雀牌でした。今考えるととんでもないな、うちの親父)。

お話を作っているときは毎日が楽しく、あのお話、この先どんなことが起こるんだろうというので頭がいっぱいでした。

登場人物がどんな冒険をするのだろう。誰と出会うのだろう。どんな話をするのだろう。

きっと現実ではないような恰好つけた話し方をして、でもそれが格好良くて。

などと妄想して話を紡ぐときはとても幸せです。

それに自分の中のお話が文字になったらうれしいし、人に伝わったらもっと嬉しいものです。

なので僕は小説を書くのが好きです。

ですが、これは僕が小説を書く理由にはなっても、皆さんが読んでくれる理由にはなりませんね。


・二つ目のメリット:生物学の情報を面白く得られる。

これはこのマガジンの大きなコンセプトの一つです。

昔の記事でも書いているのですが、日本史の教科書に書いてある新選組よりも小説や漫画の新選組の方が魅力的だし、同じ池田屋事件の話でもその話がいかに面白いかというのを伝えるのは圧倒的に小説や漫画の方です。
https://note.com/right_brothers/n/n227af8ee95da

つまり、物語にする方が情報を面白く伝えられると思ったんですね。

僕は漫画を描くよりも小説を書く方が好きなので、小説で生物学の情報をおもしろく伝えようと試みました。

また、小説単体、生物学単体の記事は数あれど、それを組み合わせた記事はあまり多くないですよね?

希少性はそれだけで価値があります(大小はともかく、ですけどね)。

これはnoteの記事では多少は珍しいかもしれませんが、しかしながら、試み自体は珍しくはありません。

SF小説や学習漫画も、物語をとおして情報を面白く伝えようとしています。

そしてそれらのコンテンツの質は往々にして、僕が描く小説をはるかに超えてきます。

それはそうです。売られているコンテンツは市場原理という選択圧をくぐりぬけて店頭に並んでいるのです。

僕のコンテンツのような査読なしでネットに書かれているものより質が上なのは当然といえます。

そして、同じ情報を得ようとするなら、面白いコンテンツから得る方がよいに決まっています。

なので、とくに大した才を持たない人間が書く小説を読む意味はあまりないと言えそうですね。

もしも生物学の情報を皆さんが得たいとすれば例えば、村上龍著の『ヒュウガ・ウィルス-五分後の世界Ⅱ-』を読んだ方がよさそうです(ちなみに分子生物学の知見が物語に深くかかわっています。とてもおもしろいです)。

すると、皆さんが僕の小説を読むメリットというのが霧散してしまいます。

では、僕の小説にはどんな価値があるんでしょうか?

・三つ目のメリット:メリットなんてありません。

ここまで読んでくださった皆さん、ごめんなさい。

実は僕の小説を読むメリットなんてないんです。

だって、偉大な先人たちが、おもしろかったり役に立つ物語をすでにたくさん書いてしまっているのですから。

本当は僕のnoteを読むよりもAmazonで『ヒュウガ・ウィルス』のような優れた作品を買った方が良いんです。

先述のとおり、僕の小説よりも質も上だし、もしかしたら知識だって正確かもしれません。

言い換えれば、小説家でもないし、賞をとったこともない僕が小説を書たって、どんな価値もありません。

・でもね。

でもね。

それって僕がやらない理由にならないんです。

僕がやめる理由にはならないんです。

だって、僕は小説書くのが好きで、生物学も好きです。

自分が生きていくうえで、それを表現しなきゃ、やっていけないです。

もう大人になってしばらくたつので、自分が自分じゃないように感じる瞬間を、幾度か経験してきました。

正直、もうそんなのごめんです。

どんなちっぽけでも自分の才は確実にあるし、ならばそれを生かしてあげたいし、日の目を見させてあげたい。

そんな風に思います。


それに続けていくうちに皆さんの心を打つようなものを書けるようになるかもしれません。

もしかしたら、本当は才能なんてないかもしれませんが。

でもそんなこと、やらないで分かるわけないしね。

なので、とりあえずそれが分かるまで続けたいと思います。


・結論:いまは価値はないけれど価値が出るまでやります。

まとまりのない文章ですが、そんなこんなで、今日はここまでにします。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?