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ジョン・ドウDNA起訴;科学的実名の取り扱い

 かつて、実名は自分の生命の一部と考えられてきた。しかし、自身の身体の奥深くに、より決定的で不可分な文字列が刻まれていることに人類は気がついた。生命に密接したタグは実名以上に切り離せない代物だ。DNA塩基配列のパターンが、刑事事件の起訴という公的手続きの根拠として使われるという事は、社会システムの柔軟性を示す好例である。しかし、その「科学的実名」は慎重に取り扱う必要があるだろう。

執筆:早雲

社会的急所である実名

 名前はただの記号であるにも関わらず、それを知られることは、すなわちその人の急所を握られ得ることである。少なくとも社会的には。

 だから、実名報道には大きな責任がともなう。実名は個人を特定する重要なキーだからだ。事件や事故の当事者を実名で報道した結果、その当事者や関係者が不当な批判や好奇の目にさらされることは大いにある。報道は実名が原則ではある。公共(市民)が関心を持つ情報を正確に受け手に送る、あるいは後世の歴史の材料の為に記録するためである。情報を確認し、検証する為には個人の実名を含む正確な情報が欠かせない。しかしながら、実名報道による不利益ももちろんある。そのため個人の名誉やプライバシーの観点から、名前を伏せて報道されることは往々にしてある[1]。

 フィクションにおいても名前がその人の急所として描写がされている作品は多い。例えば、漫画「デスノート」(大場つぐみ、小畑健)が象徴的だろう。名前を書かれたら死ぬノートを武器に犯罪者を一掃しようとした主人公とそれを捕まえようとする者たちの話だ。興味深いのは話が進むに連れ、犯罪者達の名前がすべて匿名で報道されるようになるところだ。現実に増して、あらゆる犯罪者は匿名(ジョン・ドウ※2)で報道されることになる。これはプライバシーの観点といった社会的な不利益ではなく、単純に犯罪者が死ぬということから取られる処置だが、名前を知られる、という事がこのような生殺与奪の鍵になるのは、妙な納得感がある。

 名前という記号と個人の実存の結びつきの強さは、(当然ではあるが)古くから意識されていた。 特に古代中国の人々は自分や他人の名前を極めて神秘的なものと考えていた。名前と生命との間には切り離す事の出来ない関係があり、名前は自らの一部であると考えていたのである[2]。

 だから他人の名前を知れば、その名前の持ち主を思い通りにすることができ、危害を加えることができると信じていた。そのため古代中国では人の名前を呼ぶのがタブーであるという習慣が強固に保たれてきた[2]。余談だが、デスノートのアイディアはこの辺に源流がありそうだ。

 さらに、ある種倒錯的な事象も起こる。名前が与えられることで現実の存在を規定するという現象だ。フィクションの世界ではあるが、村上龍の「半島を出よ」の記述が象徴的だ[3]。北朝鮮から来た特殊作戦部隊がテロリストとして福岡を占拠する、という話なのだが、政府がそのテロリストの高麗遠征軍という名称を認めるかどうか迷うシーンがある。名前がなければ存在を認識するのが難しく、名前が広まれば、その組織が実態をもってしまい、恐怖のイメージが肥大化するかもしれない、という葛藤を生んでいた。名前が実存と結びつくだけでなく、名前が実存を作ってしまうというような例だ。これはフィクションだが、そういったことは現実にもありそうな気がする。

 ちなみに、言語学者のソシュールによると、名前は人が現実の差異をどのように認識しているかということの表れであるそうだ。名前と実存の因果の議論は極めて難しいように思える。生兵法は大怪我の基なので、深くは突っ込まないが、一応読んだ本を挙げておく[4]。

名前を知られなくても、人は起訴されることがある

 ここまで見た通り、人の名前は社会的な面でも、認知的な面でも重要である。

 まあ、名前が重要だなんてことを強調しなくても、日常でアリとあらゆる場面で名前が必要なのだから、なにを言っているのやら、という感じだろう。結婚はいわずもがな、転居や納税の手続きに氏名は当然必要だ。また、研究者は本名で論文を出すことがほとんどだ。(ただし、昔はペンネームを使っていた人もいたそうだ。統計学のt検定を発明したウィリアム・ゴセットは当時ギネスビールで有名なギネス社の社員であったため、studentというペンネームで論文を投稿していた[5])。さらに、夫婦別姓がこれだけ議論の的になるのも、名前がどれだけ重要かを示している。ある種、公的な行いをするのは、匿名(ジョン・ドウ)は好ましくないのだ。実名は公的手続きにおいて極めて不可欠なピースのように思える。

 だが、実は本名を知られなくても、進められる公的手続きと立場がある。

 刑事裁判に置ける被疑者だ。なんと、アメリカのミルウォーキーではDNAプロファイル(※1)を起訴するということがある。つまり、事件現場に残された犯人と思しき者の痕跡から得られたDNA鑑定の結果を元に裁判の手続きを進めるということである。

 これを差してジョン・ドウDNA起訴という[6]。

 これは驚きではないだろうか。今まで見てきたように、社会的にも人の認識的にもここまで重要な名前という鍵を使わず、公的な手続きが出来てしまうのだ。

 このジョンドウDNA起訴は何が狙いなのだろうか?それは起訴することによって時効を停止する試みである。起訴されると時効が停止されるそうだ。凶悪犯罪を犯した人間を逃がさない、という矜持が感じられる。

 ちなみに日本でも、名前が確認出来なくても起訴されることはあるそうだ。だが、これは犯人の身柄が確保されている場合である[7]。

ジョン・ドウDNA起訴は難培養微生物の分類と同じ?

 僕はジョン・ドウDNA起訴という概念を知った時、難培養微生物でDNAのみ解析されているCandidatusという分類体系を思い出した[8]。微生物は顕微鏡で観察してもほとんど性質を知ることができない。見た目による分類が難しいので、基本的には遺伝型と生理学的性質を確認することで分類される。だが、培養が実質不可能な微生物は生理学的実験をすることが出来ないので、遺伝型しかわからないということが起こる。それが、Candidatusという呼び名である。

 Candidatusはまだ実体が掴めないが、DNAプロファイリングによってのみ存在が推定される分類群である。まるでDNAプロファイリングのみが決定された、事件の犯人のようだ。

 僕は微生物学が専門で、ゲノムデータを使って研究を進めていた。だから、DNAデータから得られた知見だけで何かを断定するというのが極めて難しいことを知っている。塩基配列から予想される表現型は間違うことが往々にしてあるのだ。だからDNAのデータと実際の生物の実験データは慎重に突き合わせる必要がある。

 だから、DNAプロファイリングという、犯人の人としての実態が全く把握できない状態で、あまつさえ公的、社会的措置である起訴ができるなんて、物凄いことではないだろうか、と思った。司法の良い意味での柔軟性に、僕はある種の感動を覚えた。アメリカだから、という事もあるだろうが、お役所仕事、というネガティブなイメージにはほど遠い(※3) 。

 ジョン・ドウDNA起訴は難培養微生物の分類と似ている。片方は裁判所にDNAプロファイリングを根拠に起訴し、もう片方は微生物の国際学会誌に論文投稿を行う。違いはあれど、その存在を担保するのはDNAの塩基配列だ。共に実体をまだ掴んでないという点でも似ている。

DNAプロファイリングは科学的実名

 名は体を表す。前述の通り、かつて古代中国では実名は自分の生命の一部と考えられてきた。そして、実名報道によって起こる問題でもわかる通り、現代においても実名は社会的急所となりうる。それは個人を特定する鍵だからだ。

 一方で、自身の身体の奥深くのより決定的で不可分な文字列、DNAは実名以上に切り離せない代物である。そしてDNA鑑定という概念が、1985年に英国のレスター大学のジェフリーズという学者がネイチャーに発表したDNA指紋の手法についての論文により広く認識されるようになった[6]。DNA鑑定は個人特定の強力なツールだ。

 先に挙げた実名の性質は(社会的急所となる)個人を特定する鍵であり、そしてある文化圏では生命の一部と考えられていた事だ。これらすべてをDNA鑑定によるプロファイリングは兼ね備える。DNA鑑定が個人の特定を行えるという点では、同性同名を考慮すると、実名以上の精度を発揮する。そして、言わずもがな、DNAは生命現象の根幹を担っている。DNAは体を表す。これは科学的に正しい(※4)。

 まとめると、DNAプロファイリングは「科学的実名」と呼ぶことができるのではないかと思う。無論、日常的な使用は実質的にほとんど不可能だ。また、先に述べた通り、DNA塩基配列からされる予想が往々にして間違う事もある。解釈には科学的リテラシーが必須となる。そのため「科学的実名」は慎重に取り扱う必要があるだろう。

 

参考文献


1. 藤田博司、我孫子和夫. ジャーナリズムの規範と倫理. 公益財団法人 新聞通信調査会
2.鄭振鐸 著、高木 智見 訳. 伝統中国の歴史人類学-王権・民衆・心性-. 知泉書館
3.村上龍. 半島を出よ. 幻冬舎
4.飲茶. 史上最強の哲学入門. 河出文庫
5.西内啓. 統計学が最強の学問である[実践編]. ダイヤモンド社
6.勝又義直. 最新 DNA鑑定 その能力と限界. 名古屋大学出版会
7.弁護士法人はるかHP
https://www.law-haruka-utsunomiya.com/abk8n3/
8.河村 好章. 医学細菌の分類・命名の情報 Candidatus 培養に成功していない原核生物の暫定的地位. 2014. 感染症学雑誌 第76巻 第12号
http://journal.kansensho.or.jp/Disp?pdf=0760120985.pdf


備考


※1.事件現場などに落ちている血痕や体毛などから得られるDNAサンプルを鑑定し得られたパターンのこと。個人ごとにパターンは異なる。従来の血液型や目撃情報という多義性を持ちうるものよりも、極めて精度が高い証拠となる。

※2.匿名の訳語はアノニマスだが、こじつけのためにジョンドウと標記した。すみません。

※3.とはいえ、時効という制度は時がたちすぎてその事件の事実関係の検証や正しい証拠集めが困難になることから定められている。その制度とある種反対に位置するジョン・ドウDNA起訴には議論が存在することを付け加えておく。

※4.場合によっては正しくないこともある。一般的にDNA鑑定に使用される非コード領域のSTR配列はおそらくほとんど表現型に影響を与えないだろう。その場合、体を表すとは言い難い。その一方で、別の手法(SNPの情報を使うもの)ではDNA鑑定により身体的特徴を割り出すことができる[6]。この場合はDNAは体を表すと言ってもいいだろう。


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