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D-Genes 3 【短編小説】

「カル……」

「何?」

「前から思ってたんだが、それはやめた方がいいんじゃないか?」

俺はそう言って、カルの机の上に乗ったマグカップを指した。

「コーヒー?マコトだって飲むじゃん、コーヒーくらい」

「飲むけどな。そうじゃなくて、カフェインのサプリ……」

「サプリ?別に毒物でも薬物でもないんだけど。マコトだってサプリくらい飲むでしょ」

「飲むけどな。いや、だからコーヒーもカフェインのサプリも別に変じゃないが、コーヒーでカフェインのサプリを飲むのはやめた方がいいんじゃないか?」

「なんだ、そんなこと。別に死にやしないよ」

「だが...」

「マコト、タバコ吸ってるやつにそんなこと言われたくないな。コーヒーとカフェインの組み合わせは周りの人に害を与えないけど、副流煙はどうかな?」

俺は分の悪さを感じ言及をやめた。

そしてその代わりに仕事の話を始める。

「とりあえず、現状を整理して対応を考えよう」

 俺たちは自社内のオフィスでコーヒーとカフェインカプセルとタバコをお供にして話をしていた。自社のオフィス、と言えば聞こえはいいが、実際は雑居ビルの狭いワンルームだ。

 カルが使うデスクトップとラップトップ、タブレット、モニタ、そして俺が使う生物学と経済学と法律学の専門書が所狭しと詰まってる。

 ここは俺たち二人だけの会社だった。事業内容は消費者向けの遺伝子解析事業だ。一昔前まではまだ市民権を得ていなかった事業だけれど、今はそこそこ繁盛している。
 
 塩基配列決定のコストが安くなるにつれ、多くの人たちが自分のゲノムを読むようになった。だが、塩基配列を読むのと、そこから有用な情報をえるのはまた別の話だ。極端な話、ATCGという文字だけみても何もわからない。

 だから俺たちは客に持ち込まれる客自身のゲノムを読んだ情報を解析して、そこにどんな意味があるのか、レポートを上げる。とはいえ、ある程度の病気のリスクや身体的な特徴なんかは、解析が自動化されてしまっているので、俺たちのような零細は付け入る隙はないし、真似しても商売にならない。

 俺たちが扱うのは、遺伝子のデータからえられる動的な心理的状態の判定だ。

 気分の向上や落ち込みはある程度生理的反応と言っても良い。脳内の分泌物の代謝を追えばどのような気分になるかのシミュレートは可能だ。そして脳内の分泌物は大部分が遺伝子に情報が載っている。それに加えてウェアラブルデバイスからリアルタイムに得られる心拍数や体温、運動量、そして食事やサプリを入力すればメンタルのある程度の予想はできる。

 つまりは客が持ち込むゲノムデータから、客の気分を予想するアプリを作ってるというのが一番わかりやすい説明だろう。

 それはあまり大きな市場じゃなかったが、自分の気分をコントロールしたい人間というのは一定数いるし、商売としてはうまくいっていた。何より大企業が目をつけないくらいの小規模なパイであったのもよかった。

 しかし、これだ。

 ヘテロ社は俺たちの会社の事業を徹底的に真似して、顧客を巻き取りにかかっている。この状態をどうにか打破しなければいけない。

「マコト?」

「なんだ?」

「当初の作戦と大分違ってきてるよね?だって最初はヘテロ社の言うことを聞くフリをする予定だったじゃん」

「そうだな」

「でも結局マコトがSTRの話を聞いてそのまま席を立っちゃったんだよね。それでこの状態になってる」

「……」

「これってほぼ、マコトのせいじゃん?」

「他人に責任をなすりつけるのは結構だが、そんなことしても意味ないぞ」

「いや、一言あやまれっての!普段俺をこき使うくせに自分が失敗したら知らんぷりは最低すぎるだろ」

確かにその通りだ。カルは正しい。俺は潔く認めて謝罪の意を示した。

「うるせえ、だまってろ」
 
カルがドン引いている。

「ダメな大人だ……こいつホント最低だな」

俺はカルに言った。

「ここで俺が上っ面の謝罪をしても何も好転しないだろ。ここでもしこの失敗を挽回するに値するものがあるとしたら、この状況をひっくり返すことだけだ」

カルはカフェインカプセルが浮かぶコーヒーをすする。

「まあ、それも正論か。だけど円滑なコミュニケーションだって生産性を上げるし、そのためには一回土下座しとこうぜ?な?」

俺はカルを無視した。

「もう一度ヘテロ社に出向いて、依頼を受けよう」

「一度あんな風に席を立ってる。無理だろ。しおらしくしたって信用されないさ」

「手土産がいるな」

「なに?」

「ひとり、そうだな、政治家がいい。そいつのデータを手土産にしよう」

「は?」

「だから、その政治家のSTR配列、いくらでも冤罪を作ることができる究極の個人情報を奴らへの手土産にしよう」

カルの手からマグカップが滑り落ちた。

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