アンチモード
なんにでも当てはまると思うが、
洋服や音楽、建築、絵、これらの表現とされるものは
その人の内面から湧き出てきた「モノ」は、良い表現が多い。
私は、人間の「服」としての表現を売っている身なので、洋服について。。。
最近の洋服を見ていると。
どこかで見たことあるように思えたり、心に響かなかったり、真新しい自分に出会う感覚が減ってきているように感じる。
それは、膨大な情報量によって人の思考自体が、平均化されているのもあると思う。
情報過多による思考根源の平均化。
それと
表現で商売をしていると、大衆によった「服」づくりになってしまう。
自分のやりたいこと。今大衆が求めていること。
この双方のバランスがどうしても付きまとう。
商売をやっている以上、絶対に無視はできない。
商売に軸を置き、大衆に表現を向けていると
表現する人たちは、
本当にやりたかったこと。本当にやりたかった表現。
その人の表現がなくなっていき平均化される。
いつしか平均化された「服」しか生まれなくなる。
平均化された「服」があふれかえっているファッション産業。
それが誰かの心を打つわけがなく、それを着てみたときに新しい自分を見つける感覚になるわけがない。
それが多い中で
流行という
誰が発信したのかもわからないものにすがり、流さる
自分を持たない人相手に
商売を行うファッションの世界で。
自分の本当の表現をさらけ出すことが
どれだけ恐ろしく、勇気のいることか。。。
今季Varde77は
【BEGUILDING INNOCENCE】
訳:猫かぶり
というテーマを掲げ
人間の二面性を表現しているコレクションとなっている。
人間は、様々なコミニティ―に身を置くが故に、多面的であり、
表の顔や、裏の顔が誰にだって存在する。
親しい友人に見せる顔、仕事で見せる顔、家族に見せる顔、学校で見せる顔。
すべて少しではあるが異なっていて
表現をするデザイナーも人間であり、多面的である。
多面的である人間が表現する「服」。
それはもちろん
多面的なアイテムが多いはずだ。
そのテーマの中から出てきた今回のアイテム
”JOINING CUT SEW”
これは、正真正銘。「服」を通して自分を表現する人間の内面から湧き上がってきた真っ直ぐなアイテムです。
参考書に載っていない服。
どう着こなすか、分からない服。
答えなんて存在しない服。
答えのないものを
自分の持つスタイルにどう落とし込むか。
この要素を持つ「服」が
平均化された現在に必要なのではなかろうか。
「服」という表現手法に求められている一つの答えなような気がする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?