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輪島市へのボランティア

お客さまや生徒さん。仕事の関係者の皆さまにはご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでしたが2月中旬輪島市門前町の介護施設に介護士としてボランティアに行ってきました。 

東日本大震災で宮城も全国から支援をいただきました。私は当時宮城県にいませんでした。職場より休みをもらい電話の繋がらない親や親族、入院中だった祖母の安否確認に来ました。親や親族も被災したわけではありませんが他県の消防車・救急車・警察車両等が目の前で列をつくり支援に来てもらっている光景を見ながら「ありがとう」という想いで胸がいっぱいになったのを今でも鮮明に覚えています。あの時の恩を今度はどこかで返さなければという思いがありました。


支援金などのお金では解決できないこと。課題があるのです。生きている人の暮らし、生命を支えるには実際に石川県に人が行かなければできないことなのです。私は現地へ行き人でなければ解決できない課題へ微力でも力になれればと思いボランティアに行くことを決めました。周りからは止められる声もありましたし。永遠の別れのように育てたサツマイモを蒸して滅多にすることの無い差し入れをしてくれた父。怖さは不思議とありませんでした。怖さよりも他のことにボランティア入りする前日まで気がいっていたからかもしれません。

輪島市役所を目指し一人で仙台から金沢までの9時間半の夜行バス。仙台から金沢までバスが走っていたとは今回初めて知る機会にもなりました。金沢から輪島までもバスが1日数便運行するようになったとのことで渋滞があり約4時間のバスの旅。もともと旅好きでもあるので13時間半の移動は苦ではありませんでしたが、こんなに東北から遠い場所にあったのかと知ることにもなりました。道路は崩落していたり段差があったりする箇所が多くありました。そして輪島に近づくにつれ家屋の被害の大きさも目立ち始めました。


半数以上の介護士さんが2次避難等にて出勤できなくなってしまった中で残された介護士さんが未だ断水が続く中、高齢者のお世話をしている状況。職員さんも避難所から通っている方もいる。自分の暮らしのことでめいいっぱいの中で、人の暮らしを支えるために出社して介護をしている。明るく振る舞い笑顔を見せている職員さんもいたが気持ちも身体もすり減っているのではいかと思えることもありました。


久しぶりのシャワー浴での入浴ということで30名の入浴のお手伝いもしましたが入浴後はさっぱりとした顔でお年寄りのイキイキした顔をみることができました。

断水が続き洗濯はできないため脱いだ衣類や汚れた衣類は勿体無いですが捨てるしか他に方法がありません。ですので肌着、下ズボン、ズボン、靴下、衣類が不足しています。入浴以外の日でも服を交換しなければいけないことも暮らしの中では出てきます。介護施設で暮らすお年寄りへの衣類の支援も必要とされていることでした。

ボランティアの介護士で今は繋ぎ繋ぎ。繋いでいくしか高齢者の暮らしや生命を守ることはできないのかもしれません。

働く介護士さんは減ってもお年寄りの数は変わりません。水が使えないため口腔内、皮膚、室内環境は良好とは言い難い状況です。食事も同様に水が使えないため今までのように栄養価が高い食事は摂り難く、このような状況の中で高齢者の身体に何が起こり得るのかといったことは介護や看護、医療に携わっている人なら分かると思います。

誰しもがボランティアに行けるわけではないと思います。皆さんも仕事も家族もペットもいると思いますし交通費も掛かります。もともと介護士不足といわれいますが、元介護士の皆さんも含めて数日でも介護士としてボランティア輪島市門前地区の介護施設にご支援をいただけますと幸いです。

改めて今回のボランティアを通して介護士にしかできないことはあるのだと感じました。やはりこの職種は誰にでもできることではないのかもしれません。そして介護士としても動ける私で良かったなと思えました。ボランティアへいくフリーの介護士にも国も目を向けてもらえればと思うばかりです。


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