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忘れものは何ですか

小学校が我が家のすぐそばにある。
朝、家を出るとたくさんの小学生がこちらへ向かって歩いて来るのと行き交う。なのに今朝は後ろから息をきらして走って私を追い抜いていくランドセルの少女がいた。
どうしようどうしようと呟きながら。
ランドセルには黄色いカバー。一年生だ。通りすがりの子にどうしたの?と聞かれて「忘れもの!」と叫んでいる。小さい体で先の横断歩道もわたっていく。
家はどこかな。まだ遠いのかな。学校に間に合うかな。
どうしようどうしよう、は遅刻しないかの心配なのか、親は家にまだいる時間なのかを心配しているのか、小さくなる背中を見ながら私までハラハラしてしまった。あの子、無事に忘れものをとって学校に着いただろうか。

私が小学2年生の時、強烈に覚えている忘れもの事件がある。
掃除当番のあと教室で少し遊んで普段より帰りが遅かった。
学校を出てすぐに友達と別れ、いつもと違う時間帯の通学路には誰もいなくて、新鮮に感じた。体も軽くスキップして鼻歌を歌いながらルンルンと、超ご機嫌な帰り道だった。

あまりに体が軽いなと気づいたときにはもうすぐ自宅という頃だった。
背中に重たい荷物、ランドセルがなかったのである。軽いはずだ。血の気が引く、という感覚を多分人生で初めて感じたと思う。あの瞬間を今でも鮮明に覚えているくらい小学2年生の私には衝撃的な事件だった。

今ルンルンで来た道を、一転 泣きそうになりながら、慌てて戻る。
まさに、どうしようどうしよう、と思っていた。ランドセルを忘れて帰るなんて。誰にも知られたくなかった。

学校を出るとき、もう下校の音楽が流れていたのを思いだし、学校がもう閉まっていたらどうしよう、と本気で泣きたくなった。人生終わったとすら感じていた。

今では笑い話だが、そんな些細な事も重大事件だったあの頃。

幸い正面玄関は普通に開いており(現在はオートロックなので先生にバレますね) しん、とした廊下をコソ泥のようにそそくさと歩き2年2組の教室へ行くと、たったひとつ、赤いランドセルがひっそりと私を待っていた。

ひとりぼっちでぽつねんと。
その寂しそうな光景をしっかりと覚えている。

今なら、ああ、ごめんよ、と言うだろうが、あの頃の必死な私はそんな余裕はもちろんなく、ただホッとして何事もなかったかのようにランドセルを背負い、先生に会わないように再びコソ泥歩きで玄関へ急ぎ学校を脱出した。
校門を出た瞬間、この失態を誰にもバレずに解決した、と一仕事終えた気分になり気持ちが高揚し、走って家まで帰った。
いや、走って帰ったのは遅くなったのを取り戻すためだったかもしれない。とにかく、走る振動でカタカタ揺れるランドセルの感触を確かめていた。

もちろん親には何も言わなかった。遅かったね、うん今日はみんなと遊んできたんだ、つらっと言う。嘘ではないから。
私は比較的ひとりでいるのが好きな子どもだったので母はそれを聞いて喜んでいた。

たいそう真面目な子どもだったので恥ずかしくて誰にも言わずに大人になった。だけどふとしたときに思い出す。
誰かが何かを忘れたとき、娘が忘れものをしたとき、ママ友さんが子どもの忘れものが多くて困ると話しているとき。
でも荷物まるまる忘れて手ぶらはないでしょう、だから大丈夫、と思う。

この歳になると忘れもの自慢が始まるくらいだ。買い物に行くのに、忘れないようにメモをして、そのメモを忘れていくとかね。だんだん笑い飛ばせるようになる。いや笑い飛ばすしかなくなるのか。心ではちゃんと傷ついているから共感を求めて安心したいのかもしれない。でも心の安堵は大切。

子どもの忘れものなんて可愛いものだと思う。2年生の私に教えてあげたい、大丈夫それはたいしたことじゃないと。
あの子にも言ってあげたかった。ランドセルを忘れる人でもちゃんとそれなりの大人になって働いているよと。
あの子はちゃんとランドセルを背負っていたしね。

あの子が今日「忘れものして大変だったんだよー」なんて笑いとばして過ごせていたらいいな、なんてつらつらと余計なことを考えてしまう私は、ただ現実逃避をしたいだけなのかもしれない。

明日、土曜も仕事。忘れものをしないで頑張ろ。



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