見出し画像

~連休日記~

遅めのお正月休み。少しずらして連休をいただいた。

年末年始は娘ふたりと過ごしていたけれど、働く母を気遣うこともなく、いや言葉では気遣ってくれてはいたが行動が伴うことはなく、それぞれがそれぞれのやりたいことをしていた。それが子どもの頃からの我が家のスタイル。気ままに育てすぎた結果だからと諦める。

長女は、晩秋の頃、我が家に戻ってきた。一度家を出るとモノが増える。今、我が家には和室にもソファーがあり、小ぶりの食器棚がカバーをかけられたまま置かれ、当然食器や鍋も増えた。春にはまた出る予定なので置ける範囲でとりあえず持ち帰ってきた。よって現在究極にモノに取り囲まれた狭狭となっていて、私を大いにげんなりさせている。
年末になっても そんな倉庫のようになっている和室には目もくれず、長女は自室の掃除だけを済ませオタクグッズの配置に精をだしていた。それに打ち込むあまり、母への支援は「大変だね」の言葉のみ。母は大掃除と料理支援をお願いしたいが見向きもされず。

次女は通っているデザイン学校の卒業製作の展示会へ向けての大詰め作業。リビングの大きなテーブルに、製本用品、羊毛フェルト等々を広げてあれこれ楽しそうなことをしていた。同様に「大変だね」「おつかれ」なんて言葉はあるけれど、すっかりお客さん気分で家のことには見向きもせずに、作業に没頭。

それを横目に、食べなければいけないので 料理は辛うじて したが、大掃除はせずに年を越した。春秋の2回、気候のいいときに大掃除をするのが我が家の基本なので、年末に大掃除しないことはたびたびあるのだが、昨秋していないので危機感があった。背丈の小さい私には普段気にも留めないところ。冷蔵庫の上とか、電気の笠とか。

ふたりも娘がいても何もせずに終わった年末年始。今回ひとりでの連休中に掃除するつもりだった。とりあえずのノルマは冷蔵庫の上と電気の笠。
どっさり積もった雪のように埃がありませんように。

画像2

朝から随分長い時間を布団の中で読書して過ごす。幸せ。午前も終わりそうな時間から動き出したのに、ノルマは意外と時間がかからずに終わって気抜けした。何故だか物足りない。そうだ、私は掃除が好きだったんだ、と思い出す。
掃除洗濯炊事。三大家事のうち、掃除洗濯は苦にならない。炊事は億劫以外のなにものでもないのに日々3度も繰り返し襲われる。しかも手が抜けない性格。なのに頻度と好きな順位のバランスがとれていない。
悔しくなって、掃除機とウエスを手に部屋をうろつく。時間はある。なんたって連休なんだから。

頼んでいた給湯器の業者さんがやってきた。以前も感じたことがあるが、給湯器をみる人って背の高い人を選んで採用しているのだろうか。私なんて脚立がないと絶対に届かない上部のネジも、背伸びもせずに手軽に開ける。
今回やって来たのは20代と思われる、ツヤ肌ふたえ瞳キラキラの可愛いタイプのお兄さんで、バスケかバレーでもしていましたか?と問いたくなるほどの高身長。やはりそれは採用条件ですか、と聞きたい衝動に駆られながら作業する後姿を眺める。

家に業者の人が来たときの正しい対応が私には分からない。リビングに戻って「気にしてませんよ」感を醸し出すために一度読んだ新聞を広げては読んでいるふりをしてみたり、そうっと忍び足で近づいて後ろから覗いてみたり、またリビングに戻ったりを繰り返す、といったことをしている。隠しカメラで見られていたとしたら、かなり怪しい部類だろう。



最終日、昼食用のパスタをぐつぐつのお湯に投入したところで、家の固定電話に職場から連絡が入る。登録は携帯番号なのに。何故?と思って受話器をとると「携帯が繋がらなくて。LINEもしたんだけど既読もつかないし」と。
スマホは寝室で眠っていた。のんびりデジタルデトックス中でも、サイレントモードにしてはいけないと悟る。電話くらいは受けられるようにしておかないと。反省しきりで、一旦職場へと向かう。

帰り道、外へ出たついでにお散歩。平日だし銀行にも寄ろう。連休中は完全引きこもりで体を動かしていない。いくらでも引きこもってぐうたらできる私には、連休は不健康の要因であり危険なのだ。不健康アラームが鳴って呼び出されたに違いない。
寄り道しながらのんびり歩いたり、腹式呼吸しながら少し早足で歩いたりする。公園入口で、雪に埋もれる小鳥たちを見て「いいね、雪の毛布、ぬくぬくだね」なんてひとりごちて写真を撮る。

画像1

「いやいや冷たいから」と小鳥たちに突っ込まれた気がした。


🐤


帰宅すると、食卓に悲し気な面持ちで待つ ゆであげただけの素のパスタ。
ああ、忘れてた。
これをどうするか、億劫な料理に頭を悩ませ連休終了。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?