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泳ぐことと人生を重ね合わせた夏の日

札幌は曇天予報の「海の日」。

海の日の制定は1995年、施行は翌年の1996年で、すっかり夏の祝日として定着した。
当時は7月20日だった。ハッピーマンデーが2003年に導入されてから7月の第3月曜日になっている。
当然私が子どもの頃にはない祝日だった。


娘たちが小さかった頃。
ようやく暑くなるこの時期に、私も娘たちを連れて何度か海やプールへ連れて行ったことがある。

私は泳げない。
水の中で目を開けることすらできない。
ちなみに小中高とプール学習のない学校で、近くに海はなく、私の父は日祝日が休みではなかったので、海水浴場に連れて行ってもらったことがない。
水着を着た記憶もない。

いや、一度だけ小学生の頃に電車に乗って友人と友人のお母さんに連れられてプールに行ったことがある。
覚えているのは、駅から遠く歩いたことと、浅瀬のプールがあったこと。
悲しいことにプールの記憶はそのくらいしか残っていない。

自分の記憶にしっかり残っている水着の記憶は19歳という遅さ。
その年に私は初めて自分で水着を買い、友人と流れるプールへ行った。
ほぼ初体験。

当然泳げるはずはなく、2メートルほど進んでは沈んでいく、を繰り返す。水の中では目も開けていられない。

「力を抜いて自然にまかせれば浮くから」
という友人のアドバイスも空しく、必死になるぶん沈んでしまい、自分すら見失って、横を優雅に泳いでいく人たちに妙に焦りもがいてはまた沈んでいくのだった。

「何もしなければ浮いてくるのに」
そう言われても、浮かない。
何もしなければ沈んでいくからじっとしていることができずに、もがく、焦る、もがくを繰り返す。

これは私の性格だろうか。
私の人生の縮図だろうか。
大袈裟ではなく。
そんなことを考えてしまった19歳の夏。

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それ以来、プールへ行っても海へ行ってもパラソルの下にいることを選んだ。海へ行くことはあったけれど、だんだんと海水浴に行くことはなくなった。なので、いまだに私は泳げない。
いざとなるとバタついてしまう自信が大いにある。

その後、親となり娘たちを海へ連れて行くようになる。
さすがに子どもの頃に海へ行った記憶がないというのは悲しい。そう思っていたので、回数は多い方ではないけれども、連れては行った。

しかし、おぼれても助けることはできないので遠くへ行かないよう何度も声をかけつつ、どうか娘たちよ力を抜いて上手く泳いでほしい、と切に願いながら見守るばかり。

娘の小学校はプール学習があった。なので夏休みのプール学習も勧めてみたりした。しかし遺伝子なのか、いや単に練習不足か経験不足なのか、悲しいことに2人とも泳げないまま成長してしまった。

海へ行くたびに思う。
皆楽しそうに泳いでるのに。
力を抜いて軽やかに。

相も変わらず私は砂浜でハラハラと我が子を見守り、娘たちは大きな浮き輪を使ってバタバタと泳いでいた。
楽しそうなのは皆と変わりないけれども、何だか必死にバタついているように見える。軽やかさが足りない気がする。そう思ってしまう私がいた。

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こどもが成長し、また海水浴とは遠ざかっている。
行くのはゆったりした穏やかな海。
ああ、空も飛べて泳げる生き物と、一緒にのんびり眺めている時間はいい。

泳げないことを忘れて、心が軽やかになれる気がする。



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