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はまっていたカントリードール作り

先週のnoteで、引き出しに収納したものに多量の布地と裁縫用品、と書いた。

たまに、ミシン」でもちらりと触れているが、娘たちが小さい頃にミシンにはまっていた。
娘の洋服需要が減りつつある毎日ミシン後半時期に、ちまちまとドール作りをしていた時期が重なっている。


きっかけは母だった。

私と同じようにインテリア好きな母。
当時「私のカントリー」(主婦の友社) というインテリア雑誌を購読していた母が、そこに映っていたカントリードールにくぎづけになったのだ。

家にあそびに行くたびに、ひとつ、またひとつと飾るドールが増えていた。かわいい。
どうやって作っているんだろう、と じぃーと見ていたら、心を読まれたように「りえなら作れるんじゃない?」と言ってドールの作り方が載っている雑誌を私にくれた。


(↓こんな感じの雑誌でした)

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購入するとけっこうなお値段のものもあり、手渡された雑誌は、作って楽しみなさいというよりは、作って欲しい、という意味に受け取った(笑)
確かに、普段から裁縫をしているものにとっては、それほど難しくなく作れそうだった。


ためしにひとつ作ってみる。
まずまずの仕上がり。
まあ、本に出ているような立派なものではないけれど。

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難しいのは顔だった。微妙に目や口の位置が違うだけで表情がまったく違って見えてしまう。
結果、自信がなくてどの顔の色も薄い。
上のも、描いてあるのに口が映ってないくらい薄い(笑)

作ったものは母が持っていったりしていたが、次々作る私をもてあまし、全部はいらないと言われる。
その頃には作ることそのものが楽しくて仕方なくて、人形製造機のように恐ろしいペースでドールを生み出していた。

我が家もカントリー調のインテリアを取り入れて、貰い手のないドールたちを飾りまくるが、そのうち溢れる。

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作ることに情熱を燃やしすぎて、
そして、
ある日燃え尽きた。

もともと熱しやすく冷めやすいタイプなのだけれど。

燃え尽きてしまうと、ぎゅうぎゅう詰めでかわいく並んでいたドール がうるさく感じられてしまう。
私の移り気な心に翻弄されるドール。

私は貰い手を探し、嫁入りさせて今や我が家には自分で作ったものはなくなった。ひとつくらいは残していてもよかったかなとも思う。左下の子はお気に入りで最後までいたひとり。 顔が薄くて見えないけれど。優しい顔をしていた。

こんなふうに写真を見ていても、たぶんもう作らないだろうな、と思っているのに、裁縫用品の中にはまだ名残りがある。
カントリー調の端切れと小物たちが隅っこにちゃっかり収納されているのだ。処分しようかと思いつつ、毎回戻す。

心が離れても 手放せないものとして。

人の心の摩訶不思議。


🎈


その後、私の創作熱は木製のドールへと移行したけれど、これも長くは続かなかった。私の冷めやすさ恐るべし。

ただ気に入った木製ドールは、玄関とトイレに今もひとつずつ飾られている。

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これも気に入っていたもののひとつ。
ウサギのビジュアルが無条件で好きなのだ。
左の子はなんでこんなに「ぶち」ができているのかしら(笑)

そんな突っ込みを入れつつ、我ながらよく作ったものだと、朝からひとり写真観賞会を開いている日曜の朝。

先週手付かずだった押し入れ下段の整理収納。そこから出てきたミニアルバムのせいです(^^;

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これもお気に入り。結局自分で作ったものも、うさぎが好き。


写真を見て思い出す過去の趣味。

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