防災グッズと意識の再確認
本日、防災の日。
防災グッズの見直しをしようと思う。
電池やカイロの期限など。
もうすぐ胆振東部地震から1年経つ。胆振地方に住んでいたことがある私は、震度4位の地震が起こる地域だったので、その頃に防災リュックを準備した。
その名残りで札幌に戻ってきてからも我が家にはなんちゃって防災リュックが存在していた。すぐに持って避難する、という前提のリュックだったので、軍手、小銭、電池、小型の懐中電灯など。
入っていた食品は飴一袋。
電池もそこから使って補充していなかった。
※
地震後、見直した。
札幌市で配布している防災マップの中の記載を参考にしている。
そしてこの用紙も一緒にリュックへ。
新聞紙は何かと役にたつようだが、
どうせならばとその時に使える記事のものを一緒に入れている。読んで更に使うみたいな。
我が家は当日、翌日、翌々日の3日間停電していた。
当日は冷蔵庫内と葉物野菜中心に、
翌日は冷凍庫内で溶けだした食品を中心に、
翌々日は根菜を、
というように消費し、3日間はレトルトやカップ麺にはお世話にならずにしのいだ。お米が購入したばかりだったのが幸いだった。
困ったのはガソリンがカツカツで、徒歩でしか動き回れなかったこと。電車は動かずガソリンスタンドはどこも長蛇の列。自転車があるといいなと思った。
ふたつめはスマホの充電。
翌日に開放していた区役所へ向かう途中、家のそばのauも開放されており、そこで充電できた。
そして買い物に行ってもしばらくはスーパーには食品が品薄だったこと。
これは地震発生から1週間後、 9/12のローカルニュースを情報共有のためにと撮ったもの。
1週間後でこの程度。
しかも、ニュースでは徐々にもどってきたと報道されていても、すぐに売り切れてしまう。
どうしても店に行くのは仕事帰りになるため、ガソリンにも生鮮食品にもしばらくの間ありつけなかった。店の野菜やお肉の棚はスカスカ、米も売り切れ、牛乳などもいつもなかった。
なので停電が終わってからだ。
ストックのカップ麺やレトルト食品を食べることになったのは。(ストックと言っても本当にたまたまあっただけなのだが)
それでもある程度の食品が家にあったおかげで、発生直後の長蛇の列に並ぶことなく済んだので、ストックは必要だと思う。
毎朝 納豆を食べる私と、毎朝ヨーグルトを欠かさない娘は、普段の朝ご飯にありつくまで2週間かかった。
普段通りの食事ができた幸せと安心感を思い出す。
忘れてはいけない。
あれから身についたことがある。
それまではemptyランプがついてからガソリンを入れるような人間だったのに、今は半分以下にならないようにこまめに入れている。
モバイルバッテリーは容量を大きくして、パソコンもウォークマン(ラジオになる)も常に充電しておくようになった。
食品はちょい足し買い。
米もなくなる頃買うのではなく、半分位で購入。冷蔵庫も適度に入れておく。
まとめ買いして、なくなったら買うスタイルから、
少し使ったら少し足しておくローリングストックへと変えた。
防災用として置いたまま期限切れにさせるよりは、これが無理なくできるなと思って1年過ごしてきた。
冷蔵庫にたくさん入っていて停電中に駄目になって処分したと言う人もいたので、多すぎず少なすぎずが大切だと思った。
それと当日に冷凍庫のものが溶けたという人もいたが、我が家の冷凍庫内にはアイスノンが多めに入っていたので翌日でも十分冷えていた。
そこで地震後から、これを冷凍庫内に常備している。
氷がわりにもなり、溶けたら水分補給として使える。
そしてあの長引く空っぽのスーパーの恐怖で、レトルト食品や缶詰も普段使える範囲で常備するようにもなった。
以前は缶詰を使わない人間だったのだが、流行りのサバ缶とか、普段から料理に使えるようにいくつかレパートリーを増やして置きはじめた。
普段も使えるものでないと、期限が迫ったから食べなくちゃ、ではきっと長く続けられない。
忘れた頃にやってくるものだから。
災害のあと 流通がマヒしている可能性をも忘れずに、物だけではなく、改めて意識も再確認する機会でありたい。
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