私は私で変わらない
モザンビークに到着して1年経った。
首都での中間報告会のついでに、モザンビーク島への旅行もしてきた。
船酔いと戦ったけど、島周遊ボートが一番楽しかった。
もうすぐ1年!って思った1ヶ月前あたりから怠け者生活をしていて、何にもしたくない日々が続いたから、あと何日ってカウントダウンをよく見るくらい日本に帰りたかった。
ああ、今日行っても仕事ないんだろうなとか考えて、全部支度を済ませたけどベッドに座ってしまって動けなくなったこともあった。でも、次の日になんで居なかったのかを説明する未来を考えたら行く選択をしていた。
そんなの適当に理由をつけておけばいいのに。
任地に着任した頃は楽しんでた週末の買い物兼散歩も、最近はこれとこれ買うからここに行くといった感じで、効率しか考えてないことに気づいた。
でも平日がヘトヘトで週末を楽しみにする余裕もなかった。
毎週末必要最低限の買い物をして家に引きこもる生活をしている日々。
お隣に後輩隊員が住んでいて、お互いにお菓子や料理を作って交換し合うことでもなければ、1歩も外に出ることも、人と喋ることもない週末。
本当の引きこもりにならないのは彼女のおかげがあるかもしれない。
中間報告のスライドは旅行に出かける前日にギリギリ作り上げ、何も面白くないものになっていた。
とにかく事実しか書けなくて、気づいたら活動に成果というものが書けなかった。
日々目の前のことをやっていたら気づいたら1年経っていた。やりたいことはきっとやれている方だけど、何一つ達成感がなくて正直自信もない。
同僚から「どうだ?お前のクラスは?」ってよく聞かれるけど、その返事にすごく困る。
別に私が教えている生徒がこれと言って良くなったという事実もないし、他のクラスと比べて非常に悪いわけでもない。
ただ、テストができていないのは事実で、
「平均が5点だったんだよね(20点満点)」
って答えると、お前がよく教えてないからだって言われるんだよなぁ。他のクラスも変わりないが。
でもそれ言われたら私はやっぱりここに要らないのかなと思う。
数学の先生は他にもたくさんいるしね。
という記事をここまで書いて寝かせてあった。
2学期が始まって、1週目が終わった。
産後休暇の先生の代わりに、もう1学級受け取って2学級に授業をしている。
変わったことはそのくらいです。
どんなにカプラナで着飾り、モザンビーク料理を食べ、ポルトガル語を喋り、たまに現地語を喋っても、1年経っても私は私で変わらない。
好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。
日本人に対してしないことは、モザン人にもできない。
だからといって日本人の礼儀みたいなものを押し付ける訳ではないけど、こうされると嬉しい、不快といったなんとなくモヤモヤしていたことが、はっきり分かったりすること。
その人と関係性があって今後もちゃんと関わりたい場合は、嫌なことをちゃんと伝えるようにはしている。
それが少し自分の中で変わったことかもしれない。
日本人にはね言えないよね、、、なかなかね。
来週はシェフたちの会議で中間報告。
授業より嫌だなぁ、、、
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