慣れとは恐ろしいもの
先週1週間は毎日は長く感じたものの秒のように過ぎた。
火曜日に、JICAの所長とプロジェクトの職員さんが任地シャイシャイのお偉いさんとお食事会とのことで、私の授業道具割と一式を貸し出ししました。
どんな反応だったのか、その場で見たかったですが、なかなかの食事会だったため、ボランティアの身分では参加できず。
所長によると、授業計画の細かさに感動していたって話でしたが、わかって欲しかったのそこじゃないんだよなぁ、、、という本心。
ちなみに貸し出したものはこちら!
水曜日、同じ任地の後輩隊員の職場視察に同行。
彼女が活動しやすくなることを願って、現状を知ってほしいって思っていた。
ボランティアの活動として、本来のシステムが全く機能していないようなところは、かなり厳しい。
お願いされて、できなくないことはやれるけど、私たちは1職員ではなく、あくまでボランティア。
給料云々じゃなく、責任の問題と、そして2年後いなくなったあとに崩れるようなことはできない。
なんとかうまく話が進めばいいなぁ。
木曜日、昨日誕生日だった同僚のケーキカットをやろうとルンルンで学校に行った。
学校に着いたら、まさかの訃報。
先週お見舞いに行っていた同僚が亡くなったとのこと。
私が最後にお見舞いに行った次の日に、退院したと本人から電話があり、なんとなく安心していた。
病気は待ってくれなくて、あれから1週間経たずに。
かなりの頻度で体調が良くないと言っていた彼女だったから、3週間も入院していて本当に心配してたけど、こんなに早くお別れが来ると思わなかった。
最後に病院で彼女と一緒に撮った写真が嘘みたいに元気そうで、本当に亡くなったのが信じられなかった。
大好きな同僚のお誕生日お祝いはやったけど、なんだか悲しい日になった。
土曜日、亡くなった彼女の葬儀があるということで、家を訪ねる。
何度かモザンビークにきて通夜に参加したことはあるが、悲しみに暮れてる、、、といった印象ではなかった。
どちらかというとお祈りなどのセレモニーが終わったらご飯一緒に食べて、話してと言った感じ。
今回は、亡くなった年齢も若かったため、とてもしんみりした葬儀だった。
私を含め、同僚4人で。
あいにく急遽前日の夜決まった葬儀であったことと、その日に学校で保護者会があったため、彼女に関わっていた人は多かったが、参加は少なかった。(学校職員約150人います。)
お墓は家から離れたところにあるそうなので、家でやる出棺までのセレモニーに参加した。
キリスト教の葬儀はまた仏教とは違うが、服装にはっきりとした決まりはない(アフリカ布を絶対巻がなくてもよい、バンダナ付けなくても良い)。
日本だと黒一色になるのが定番だからね。
葬儀のために準備するものじゃないというけど、まさに決まりがあるから用意しないわけにいかないというのが日本、、、
ここはモザンビークを見習った方がいい。
儀式の流れはほぼ変わらない。
出棺まで1時間程度、お祈りやお別れの言葉、拝顔など。
日本と違うのは、ところどころ歌が入るところ。教会で歌ってる歌、みんな歌えます。
半分以上現地語で話されてたので、理解できないところもありましたが、教会に行った時もそうだから慣れました。
1週間ぶりに会った彼女は嘘のように眠っていた。
Alma em paz.
と、なんだか心が忙しくやっていたら、日曜日に扁桃腺が腫れました。
しっかりパンパンで、夜に熱が出ます。
昨日2クラスに授業して喉を使い果たしたから
今日はゆっくりさせてくれ、、、