20代最後の1年を「人生の夏休み」にした
里枝、1991年、平成3年生まれ。
20代最後の1年を「人生の夏休み」にした。
別に死期が近いわけではない。
超平凡に過ごしてきた私が、留学もしたことないのに、いきなり日本を飛び出した。
30歳を目前にし、少しこの「人生の夏休み」について、自分なりに振り返ってみよう。
そもそも、なぜ「人生の夏休み」を取ろうと思ったか。
理由はいくつもあるようでいくつも無くて、要はタイミングと消去法だった。
ちなみにパリに来て「なんで?」とは1度も聞かれていない。
けれど、日本人にはよく聞かれる。
新卒から美容メーカーで総合職、営業、インストラクターとして働かせてもらった。超幸運なことに上司(特に最初の配属)や同期が良い人々で、担当先もこれまた楽しくて、好きな美容の仕事…なのだが、いかんせん勤務時間がキツかった。
休日夜の講習仕事や帰宅が24時超える働き方は、いくら好きでも身体が続けられないし、身体ではなく心が壊れたら…私も流産を繰り返したら…を考えたら、楽しくなかった。
この働き方しかないのであれば、一旦離れよう。
会社の未来が明るくても、働く私の1年後、3年後、5年後が明るくは想像出来なかった。
30歳を前にして無職になることへの不安は、もちろんあった。
ただでさえ不景気しか知らない世代、家庭も苦労が多かったから、お金を稼げないことへの不安は、貯金してきたからと言っても大きい。
でも、「自分のためだけに使える時間」は買えない。
(老後の旅行〜とかより元気な若いうちにしたいし、子供いたら難しいだろうし)
今、振り返ってみると祖母の口癖「戦争中だっから〜出来なかった・行けなかった」を、自分がいつか言うのを防ぎたかったのかもしれない。
そして、タイミング。
偶然にもなんかよくわからないけれど、付き合っているパートナーはパリ在住のフランス人。
この先のことを考えるにしても、「場所」問題があり、そもそも日本以外で生活したことがないから、ちょっと試してみるのもありかもしれない。
フランスのワーキングホリデーは、30歳の誕生日までの申請。
「…もしや、今がしかないのかもしれない。」
海外で暮らしたことなんて無いし、語学も苦手だし、別にパリに憧れる「パリ好き❤︎」でもないし、手に職も特技も無いけれど、今しかない。
(その他、親族トラブルでガチで身の危険があったから逃げた、もある)
そうして、28歳、2019年末に勝手に寿退社にされて、退社。
(結婚してないのに、寿退社って平成終わってんぞ?ならご祝儀よこせと今でも思っている)
29歳になって2月に渡仏。
もちろん出発する朝まで、本当に祖父母と母を置いて自分だけ楽しみに行って良いのか?と悩んだ。
ここまで育ててくれた3人、特に90代の2人を…。
今まで大阪勤務の半年間ですら毎月帰って来ていたから、1ヶ月以上会わなかったことがないのに。2人のために一緒に暮らしているのに。
居ない間にボケて忘れちゃったらどうしよう、何かあったらどうしよう。
けれど、もう夏休み開始のベルは鳴った。
お互いをみんなの無事を信じるしかない。
さあ、花の都パリで「人生の夏休み」。
コロナ爆発、ロックダウン。
なかなかに思い描いた「人生の夏休み」とは違うけれど、夏休み開始のベルはもう鳴り終えている。
一部上場企業、安定した職。
何も不自由しない日常生活。
家族との時間、友達との時間。
そこから一旦離れて、不安定な身になる。
今までは「海外に行くなんて大きな決断、どう下したのだろう?すげえな」と思っていたけれど、私の場合はこんなしょうもない下し方だった。すごくも何もない。
超あっさりしている。
きっと、そんなものなのだろう。
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