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『土を喰らう十二ヶ月』(中江裕司監督作品)ー日々を暮らす作家ツトムの映画は、すなわちジュリーの映画だった。


どこから話を始めるべきか、迷う。
まず中江裕司監督の映画が、わたしは大好きだ。
『ナビイの恋』1999年
『ホテル・ハイビスカス』2002年
『白百合クラブ東京へ行く』2003年
『盆唄』2019年

実写とアニメを組み合わせたり、ドキュメンタリ手法とドラマとアニメを組み合わせたり、独特の表現と、沖縄と福島とハワイ、子どもと老人、細々とした生活の描写、そこに生きている人々の呼吸、想念を掬い取り、そして「音楽」に乗せるー繊細で大胆な映画。

『我が名はジュリー』

我が名は、ジュリー (中公文庫)  – 1986玉村豊男

1986年出版当時、わたしは24歳。玉村豊男の大ファンだったので、すぐに影響された。

物心ついた頃には、GSの王タイガースは、解散しており、すでにジュリーは単独の沢田研二だった。伝説のテレビドラマ『悪魔のようなあいつ』は1975年。放送時は見ていない。わたしは13歳。大人になってから知った。

とにかくジュリーの色香が凄い…

https://filmarks.com/movies/38370

長谷川ゴジ、伝説の映画『太陽を盗んだ男』1979年。わたしは17歳。封切りでは見ていない。大学生になってから札幌の映画祭か何かで見たと思う。全然わからなかったが、とにかくジュリーが見たくて見た記憶しかない。

伝説の楽曲「TOKIO」は1980年。わたしは18歳。沢田研二は、80年代のアイコン、常に先を飛んでいくスター、美しき人ジュリーであった。

そして、たった今、2022年。沢田研二は、74歳。
『土を喰らう十二ヶ月』に主演する。主人公は、原案となった水上勉をモデルとした架空の作家ー「ツトム」さんである。

ツトムさんは、太めの白髪の老人である。目の下がふくらんで垂れ下がっている。土の中から里芋を掘り出し、水で洗う手は、白く、しわが寄って跳ね返りのない肌を晒している。ツトムさんは米を研ぎ、飯を炊き、野菜を切り、筍をとりに行き、筍を煮る。

ツトムさんには彼女がいるが、美味しいものをひたすら作って食べさせるのは彼の仕事である。そして一人で毎日、同じことを繰り返す(他者に食べさせ、自分で食べる。良い男である)

ツトムさんは、厳しく自己と主題を突き詰めて思索する私小説家である。そしてちょっと頼りない、いい加減な色男である。難事を押し付けられても怒らない。ついつい受け流してしまう(多分めんどくさいからだろう)。

ツトムさんの十二ヶ月は、共感できる場面も多い。わたしも梅干しは毎年作るし、漬物も漬けるし、茗荷ご飯も毎年大家さんの庭に生えるのを採らせてもらい作って食べている(土井善晴先生のレシピです)。

生老病死ー人は誰も逃れられない。命とは、そういうものだとしか言いようがない。そして食とは、生きることーというように。
映画は、「現代社会に失われた様々なものを問いかける」のであったが、果たして。

中江監督は、そんなに壮大で複雑な主題のようなものを、この映画で伝えたかったのだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

だが、どうであろうとも。
わたしが映画を見て、最も感動したのは。
最も胸を打たれ、思わず声が洩れそうになって、映画館の暗がりの中で一人マスクを抑えたのは。

エンドロールの始まり。タイトルソングが流れる。
『いつか君は』
1996年のアルバムに入っている曲だそうだ。この度の映画のためにリマスター版でシングルカットされたそうだ。

本気で、わたしは、椅子から転げ落ちそうになった。イントロが聞こえたところで(これはまさかジュリーが歌うのか!?)と思ったら、歌い始めた。ジュリーの声でしかない声が、歌う。
その歌声が。全てを連れてくる。時空を超えて。

映画の中のツトムさんは、ツトムさんでしかない。
そうして、沢田研二も沢田研二でしかない。
「世界は僕らを待っている」美しきスターから、74歳のお腹の出た白髪の老人になっても。なんも変わってない(26年前の声だとしても)

「魂」という言葉を使うのは、極力避けていたいが。この場合、使わざるを得ないのかもしれない。

沢田研二の魂は、沢田研二に宿っている。

土の中から出た里芋の。
竹林から出た筍の。
落ちた梅の実の。
窓辺で主人を待つ犬の

あらゆるものに、それは在るのだと。
映画の主題とは、ずれていないはずである。


(文中敬称略)








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