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『バービー』股間のない人形と、『哀れなるものたち』大人の体に赤ん坊の脳をくっつけられた女の子、ベラの冒険旅行。

https://wwws.warnerbros.co.jp/barbie/

https://www.youtube.com/watch?v=HLHUXpx05uE

 
 
 映画『哀れなるものたち』を観たのは、今週のことである。
観終わって、すぐに思い出したのは、昨年の夏に見た『バービー』だった。二つの映画は、とても良く似ているなと思ったが、もしかして似て非なるものかもしれないので、考えてみたい。

 バービーは、バービーハウス住んでいる。各種バービーと恋人のケン各種しか住んでいない。人形の国だ。
ベラは、ロンドンで生まれた。見た目は大人の女性だが、言葉は片言で、動きもギクシャクしている。手づかみで食事し、まずいものは吐き出す。
 彼女の家族はゴット、つぎはぎだらけの顔をしたフランケンシュタインのような老人だ。彼は外科医で、いわゆるキメラー人間と動物を合体させた異常生物を作る研究に没頭している。ベラは、その人間版だった。言うたら仮面ライダーな改造人間である。ただ仮面ライダーと違うのは、彼女が未だ、赤子だということである。

 バービーは、初めから幼年期、児童期の女の子にとっての「理想の女性像」として作られている人形だ。ゆえに彼女には、苦悩は必要なかったし、自我もいらなかった。バービーは、バービーであり人形遊びをする女の子の夢想を吸い込むだけ。手放されれば、ただの空洞、ガラクタのままだ。

 ベラは、赤ん坊の脳と大人の身体を持つために。バランスが保てない。側から見れば、気のふれた女にしかみえない。しかし、彼女は、全ての赤ん坊と同じく周囲からさまざまな事柄を学ぶ。言語、動作、物の仕組み。徐々にベラは<成長>していく。

 バービーは、ある日、ふとしたことで「自分は一体何者なのか?」と疑問を持ち、外の世界を見てみたいと強く願い、人間世界に出発する。
たどり着いた現実世界で、「理想的な女性モデル」として人間の女の子たちに支持され愛されていると思い込んでいたのに、実は、違っていた。
「自分の世界」と「他者の世界」の違いに気がついたバービーは、より深い体験を求めて、彷徨い、行動し、出会う。

 ベラは、ある日、性に目覚める。古くから言われるリビドーという奴である。肛門期、口唇期、性器期とかいう奴?(間違っている気がする)
「一人で幸福になる方法を見つけた!」

ベラの自立の一歩が始まる。それは、同時に閉じ込められた「ドクターモローの島」からの旅立ちでもあった。

バービーとベラの共通点。
①「男によって強制的に製造された女のようなもの」であること。
②途中でいわゆる「自我に目覚め」ること。
③何事かを探して旅に出ること。
④旅の過程で、さまざまな事柄について「考えてみる」こと。
⑤ 旅の終わりに「わたしのやりたいこと」を見つけること。
⑥ 次の旅が、始まるー「この世界で、生きてみよう」とすること。

 そして、バービーとベラには、違いが、一つだけある。

バービーは、幼女からローティーンの玩具なので初めから股間がない。つるつるの人形だ。バービーは、夢想的恋愛はあってもセックスはしない。つーか物理的にできない。
ベラは、大人の体に赤ん坊の脳から出発し、初めから股間がある。
ベラは、無垢(無知)な子供のまま世界に触れるので、性欲と「愛」という名の倫理(社会的規範)とは結びつかない。ゆえにセックスしまくる。
「一人で幸福になる」ために。

 この二人の創造物に与えられた、最大にして決定的な差異は、しかし、映画の結末で見事に同時着陸する。
自分の股間=女の身体は、彼女自身のものである。
ただそれだけのことに。

それって一体どういうこと? 
意味わかんない。
と思われる方は、どうぞ映画をご覧になってみてください。


✨『Barbie バービー』2023/米 グレタ・ガービク監督 
主演マーゴット・ロビー

✨『哀れなるものたち』2023/英 ヨルゴス・ランティモス監督
主演エマ・ストーン



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