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[新刊案内]私が私らしく死ぬために

新刊ZINEを発売します。まえがきを公開します。


まえがき

よりよく生きるために知っておきたい死ぬということ


 自分がどんなふうに死ぬのか、想像したことはありますか。
 最後の瞬間は一人でしょうか。
 誰かと一緒にいるでしょうか。
 病院にいるでしょうか。
 それとも自宅にいるでしょうか。

 パートナーや寄り添う人がいれば、誰かが看取ってくれるかもしれません。一人、自室で息を引き取ることもあるでしょう。病院で大勢の家族に見守られるパターンもあるかもしれません。私は孤独死の可能性が高いです。「嫌だなあ」と思いますが、連れ合いに先立たれたり、子どもが独立していたら誰でも孤独死する可能性は高く、どうせ最後は一人で死んでいくのですから、嘆いても仕方ありません。むしろ死ぬときに誰かが寄り添ってくれるなんて、とっても恵まれています。二〇二三年末に亡くなった俳優の中村メイコさんはパートナーの腕の中で息を引き取ったそうです。オランダのドリス・ファン・アグト元首相と妻のユージェニーさんは二〇二四年二月に安楽死を選択して夫婦で手をつないで亡くなりました。すごいですね。ドラマみたいですね。

 でも、きっと、多くの人はそんなに「うまく」死ねません。

 もちろん死に方もいろいろあります。こう書いている私も、明日、事故で即死するかもしれないし、不幸にも、誰かに刺されてしまうかもしれません。生きていると、本当に、何があるかわかりません。
 そもそも死ぬ瞬間を選べる人はいるのでしょうか。自殺や安楽死を望む人もいますが、生きたいという意志がある人は、自分が願った通りのタイミングで死ぬのはとても難しいです。だから準備といっても、何をいつから始めたらいいのかわかりません。せっかくいまを楽しく生きているのに、自分の終わりなんて考えるのはイヤだし、どうせ死の間際は身体が思うように動かないだろうし、無責任かもしれないけれど、遺された人たちに恨まれようが、死んでしまえばわからないし。
 そんなことをぼーっと考えていると、「まあ、いつ死ぬかわからないから」と、どんどん後回しになってしまいます。

 でも、せっかくなら、一度、自分の死後を考えてみるのはいかがでしょうか。決してスピリチュアルな話ではありません。天国なんてものはないと私は思います。死んだら無になるだけです。しかしながら、意識が消えて身体が機能しなくなっても肉体が残ります。長年付き合ってきた身体はもはや魂の抜け殻。でもせっかく長年一緒に生きてきた肉体がどうなるのか、少しだけ、気になりませんか。

 日本では火葬が一般的ですが、世界にはさまざまな遺体の処理方法があります。面白いものだとフリーズドライの堆肥葬。アルカリ加水分解葬なんてものもあります。なぜこのような処理方法が生まれたかというと、環境問題が原因のひとつです。火葬にはたくさんの燃料が必要なうえ、一回の火葬で二〇〇〜三〇〇キロの二酸化炭素が排出されるといわれています。この課題解決のために、近年、世界中の人たちが「新しい遺体処理法」を模索しています。

 一方、遺された人たちの反応はどうでしょうか。家族や友人たちは、自分の死を悲しんでくれるでしょうか。私やあなたのことなんて、すぐに忘れてしまうかもしれません。一方で、生前たくさんの徳を積めば、「追悼イベント」なんてものをやってくれるかもしれません。でも、そんな人はごく一握り。多くの人は静かに忘れられていくだけです。私も極めて人望がありませんので、盛大に見送られることは、いまのところはなさそうです。

 葬儀のときに号泣するのが仕事の韓国の「泣き女」は有名ですね。儒教では葬儀で涙が多いほうが故人の徳が高いとされるのだとか。「泣き女」は韓国を中心にアジア圏でみられ、さかのぼると古代エジプトにもいたという記録があります。ミイラをオシリス神と見立て、泣き女たちはその妻イシスと妹ネフティスを演じたそうです。国や宗教が変わっても、葬式を盛り上げる「泣き女」がいるのは面白いですね。

 あいにく、自分がいなくなっても世界は平常運転です。
 それでは自分がいなくなった世界で、自分はどのように忘れられていくのでしょうか。

 何か「学び」に関する本をずっと作りたいと思っていました。それならば第一弾は「死に方かな」と思い、死をいろいろな角度から取り上げることにしました。死を想うことで、強くなると信じて。みなさんの日々の暮らしに少しでも役立てたら嬉しいです。


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