わかるのは「相手のこと」ではなく「自分の捉え方」
色々な人と話すのは楽しい。
その人の目を通すと、同じものごともまた違って見えますからね。
とはいえ、「そんなふうに考えるのか!」と感動したとしても、逆にガッカリしたとしても、結局のところ、相手の言っていることや感覚を「そのまま」わかっているわけじゃないんですよね。
なぜなら、私たちは常に「自分の目」を通して、相手や情報を見ているからです。つまり、自分の価値観や経験、感情が影響して、相手の言葉や行動を自分なりに解釈してしまっているわけ。
本当にわかるのは「相手のこと」ではなく、「自分がどう捉えたか」ということになります。私が見たかった「それ」は、私を通すことで違うものになってしまう……。
そういえばドラマ「ダーク・マター」。(この先、すぐに一部、ネタバレを含みます)
この中では、登場人物が「多次元世界の扉」を開ける際、その人の「意識状態」が影響していました。
相手の心のうちも、「ダーク・マター」に登場するドアの向こうの多次元世界と同じかもしれません。
「相手はこう考えている」というたった一つの正解があると思いたい。
けれど、実際はパラレルワールドになっていて、「それ」を感じる(観測する)自分の意識状態によって、一つが選ばれるんだと思います。
その「現実」は、もちろん相手の「現実」とは違っていることもあり、物理的には同じ場所にいても、心は違う世界を生きているわけですね。
誰かと話すときは、自分がどんな「メガネ」をかけて相手を見ているのかを意識してみると面白いかもしれません。
その「メガネ」が、相手の話をどう変えているのかを考えると、新しい視点や理解が生まれそうですね。
それもまた、結局のところは「自分の捉え方」ですけれど。
では、相手の本当のところは、わからないままなのか?
そんな疑問もふとわきましたが、これは「自分」の枠組みが広がって、相手と一体化すると、わかってしまうように思います。
いつもの「自分」が消えてしまい、別の「自我」になるというか。
もっと書きたいのですが、タイムリミット。
(10分以内で止めるゲーム中)
また機会があったら続きを書いてみようと思います。
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