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目の眩んだ者たちの国家

2014年4月16日に起きたセウォル号沈没事故。

わたしが最初に知ったのはたぶん日本のニュースかワイドショーだったと思う。ワイドショーで、どうして船が沈んだのか、積載量はどうだったのか、船の構造は…などという話を延々していたような記憶がある。

次に聞いたのは数年後、2014年4月から始まった私の好きなラジオのパーソナリティーの番組をさかのぼって聴いていた時。4月14日の回からしばらくの間、ラジオのパーソナリティーの沈痛な声と悲しく静かな音楽が流れる放送を聴いた。もともとは明るく楽しい雰囲気もあるラジオ番組だったけれど、その間の放送は全く違ったものになっていた。

その次は「共犯者たち」という映画の中で。

そして、昨日、この本で再びセウォル号に出会った。細かく言えば、「外は夏」というキムエランの短編集で、BTSの「spring day」という歌の中にもセウォル号はあった。

ファンジョンウンという作家の書いたものが読みたいと探していて、偶然手にした本だった。前に知り合いからタイトルを聞いて知ってはいたものの、そのままになっていた本でもあった。

すぐに読み始めて、感想をUPしようとしたけれど、できなかった。最後まで読み込めず、言葉が出てこなかった。1日経った今なら書けるのか、心もとないけれど、思ったことを書いてみようと思う。

収録された12篇の文章はどれもセウォル号沈没事故が起きた2014年の夏と秋に季刊誌に掲載されたもので、12人の小説家や詩人、文芸評論家、社会学者、言論学者、精神分析学者、現代政治哲学研究者が書いている。学者が書いたものは、私にはちょっと読みづらく、咀嚼できずに終わった感がある。

一番心に残ったのは、小説家パクミンギュが自分の章「目の眩んだ者たちの国家」の中で言う、

セウォル号は

船が沈没した「事故」であり、国家が国民を救助しなかった「事件」なのだ。

もうこの2枚のフィルムは切り離さなければならない。

という文だった。

そう、セウォル号は単なる沈没事故ではなく、沈没しかけている船をみんな見ていながら、船長も船員も、海洋警察も、政府もマスコミもみな誰一人船に残された300人以上の高校生たちを助けようとしなかった事件でもあるのだ。

この本の中で多くの人が、セウォル号沈没事故が起きた時、自分は何をしていたか、周りの人はどうだったかを書いていた。みんな、最初は全員救助の誤報を信じ、大したことないと思っていた。それが、もうセウォル号以後の世界は存在しないとまで言わせる事件に変わっていく。

そして、この文章が書かれた当時は、批判的な文章を書くのも大変な時期だったのかもしれない。ではこの事件をどうすればいいのか。なにをすればいいのか。誰が何を答えればいいのか。そんな問いが12篇のどれからも浮かんできていた。

「しかし、みんな一緒に滅びてしまったのだから質問しても無駄だ。と私が考えてしまったその世の中に向かって、遺族たちは、持てる力を振り絞って質問をしていたのだ。」「ならば今度は私は何をすべきなのか。彼らの質問に応答しなければならないのではないか。」ーファン・ジョンウン

「これは最後のチャンスだ。どんなに困難でも辛くても、私たちは目を開けなければならない。」「私たちが目を開けなければ 最後まで目を閉じることのできない子どもたちがいるのだから」ーパク・ミンギュ

「そして、この質問に対して小説家はどんな使い道があるのか考えてみる。誰でも考えられそうな話を長く引きのばして書くこと以外に、どんな効用を期待することができるのだろうか。それでもどこかに答えがあるだろう。少なくともこの仕事は、プラスペンが一本、目の前を通り過ぎるとき、手を伸ばしてそれを掴もうとする力ぐらいは与えることができるのではないかと、期待してみる。」-ペ・ミョンフン

この日本語訳が出たのは2018年。2017年に韓国では大統領の弾劾が成立し、それを実現した運動はキャンドル革命と呼ばれた。大統領の息のかかっていたマスコミもすべて一掃された。このあたりのことは「共犯者たち」の映画を観て知った。

いったいどうすればいいのかーそう問うていた2014年から3年後には、韓国に住む人たちは答えを出したのだと思う。それで世界がすべて変わるわけではない。今もいろんな問題は起きている。けれど、応えたのだと思った。韓国の人たちは。

キム・エランが本書の中で語っている言葉

「理解」とは、他人の中に入っていってその人の内面に触れ、魂を覗き見ることではなく、その人の外側に立つしかできないこと、完全に一体にはなれないことを謙虚に認め、その違いを肌で感じていく過程だったのかもしれない。そのうえで、少しずつ相手との距離を縮めていって、「近く」から「すぐ隣」になることなのではないか。

私がとても好きなラジオのパーソナリティーの座右の銘は「理解よりも認めること」だった。きっと彼の言う「認めること」が、キム・エランの言う「理解」なのではないかと思う。

私たちはお隣の国韓国で起きたセウォル号の事件を理解し、そしてその後で起きたできごとに、力をもらうことができるのではないか。私たちの国にもあるセウォル号事件をそのままで終わらせないために。

目の眩んだ者たちの国家 キム・エラン , パク・ミンギュ , ファン・ジョンウン , キム・ヨンス他 著  矢島 暁子 訳 新泉社 | 絵本と育児用品のあるお店マール https://gsfr3.app.goo.gl/Pqbvbk @BASEec

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