見出し画像

インターネットの中に「私」はいない

最近、読書時間が増えた。というより、SNSに浸かりすぎていて本が読めてなかっただけだと思うけど。

二つのSNSを封印してできた時間は、昔スマホがなかった時代に自分がどう過ごしていたのかを思い出すきっかけにもなった。本屋や図書館によく行っていたのだった。

読書時間が戻ってきていろんなジャンルの本を読んでるんだけど、良いタイミングでこんな本を見つけたので読んでみた。

ちょっと難しかった。一般人向けにわかりやすく書いてあるとは思うけど、やや堅い表現が多い(哲学だから?)。
頭に入ってこないところは無理して理解しようとせず斜めに読んだという前提で、印象に残っていることをピックアップ(表現は違うけれども)。

  • 情報はとめどなく流れているが、それらについて考えている時間はない

  • エンジンをニュートラルにしたままアクセルを踏んでいる状態

  • 「私」の感情は事実であって何にも揺らぐことはないはずだが、他の意見に簡単に左右される危うさがある

  • ネットの中に「私」はいない

「私」はいない
このフレーズは腹落ちした。
(著者はネットを否定してるわけではないし、便利で欠かせないツールであるとも記している)

SNSは個人のコンテンツを差し出すことで成り立っているとも書いてあった。その通りだ。
ならば、「私」がいないところで(商売のために)コンテンツを一生懸命差し出したところでいったい何の意味があるのだろう?などと思ってしまった。

タイトルにある <私>を取り戻す とは、ネットの外にいる「私」を意識することではないかと思った。

いただいたサポートは旅やアート鑑賞の活動費に使わせていただき、記事でお礼したいと思います。