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「翻訳できないわたしの言葉」@MOT


「翻訳できないわたしの言葉」
二週間前に行ったのだけど、静かにじわじわ重みを感じるような内容だった。

ユニ・ホン・シャープ
マユンキキ
南雲麻衣
新井英夫
KIM Insook

どのアーティストも初めてだった。
というか、現代美術館で出会うアーティストは「はじめまして」が多い。
そのくらい現代アートに疎い私だけど、現代美術館には何か強く惹かれるものがあるのか好きな場所だ。
都立であるというのも、都民にとって誇り高くも感じる。


「翻訳できないわたしの言葉」のわたしの言葉とは何か。

仲間や家族同士で通じる言い回し、言葉以外の表現方法(アートが良い例)で思いを伝えることもできる。
それらを個人の経験含めたすべてから生まれるのが「わたしの言葉」。


今回印象に残ってるのは、「言葉が通じずにコミュニケーションできないことで、自分の言葉が奪われる感覚がある」という表現。
自分の言葉が奪われる。
パワーワードだ。

私自身、日本語以外は英語もろくに話せない。海外旅行は超緊張するし、言葉が通じないことでいろいろ損してると感じるし、ちゃんと学ばなかった自分を責めたりする。

だけどここでは、「多言語を学ぶことはその国や地域の文化や歴史を学ぶこと、それをそのまま受け取ることがその人と向き合うことにつながる」としているのだった。

言葉を学ぶ=話せる
それだけではないという意味なのか。
もちろん言葉が通じれば便利だ。相手の伝えたいことをより理解できるけれど。
それだけではないという意味なのか(2回目)


現代アートはインスタレーションを理解して作品を観覧するとわかりやすい。
けれども、事前情報や説明を先にインプットせずに、わからないなりに自分の感じたことに素直になることも楽しみ方の一つ。
今回は(も)事前情報ゼロだったけど、それが良かったと思った。
言葉がテーマだったからかもしれない。


2024年7月7日まで

いただいたサポートは旅やアート鑑賞の活動費に使わせていただき、記事でお礼したいと思います。