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じいちゃんがいなくなって思うこと

7月にじいちゃんが死んだ。97歳で老衰。大往生だと人は言う。

でも、私は本当にそうなのか?自宅で暮らしていればもっと長生き出来たんじゃないかなと思う。

元気だったのに無理やり施設に入れて、顔見せに行けば、帰り際必ず「なんで俺を置いて帰るのか。俺も帰る」と、悲しそうな表情で食い下がられて。だから、あんまり面会にも行かなかったし。

そもそも、じいちゃんが施設に入ったのは、ばあちゃんが死んで私の母、つまりじいちゃんの娘と同居していたことが原因。5年が経ったころ、「じいちゃんが私のことをばあさんと思ってる」と母から聞くようになった。でも、その当時は「ふーん」って感じで、親子だし嫌いと言っても、特に何も心配してなかった。

でも、事態は深刻だったことに1年くらいたって気付く。お母さんがじいちゃんのことを「怖い」と言い出して、落ち着きが無くなったのだ。じいちゃんは元々女性を見下しているところがあって、態度が大きくなるところがあった。でも、私たち孫には優しかったし、父親代わりに少ない年金から、私たちに援助してくれていたこともあって、じいちゃんが怖いなんて、何言ってんの?って感じだった。

さらに、1年経過したころ、お母さんの物忘れがひどくなった。

じいちゃんに襲われる!と毎晩怖くて寝れなかったらしい。自分のことを奥さんと思っている父親と一緒に暮らすストレスは半端なかっただろう。

案の定、病院に行ったら「若年性アルツハイマー型認知症」と診断された。妹は大泣きしたけど、私は泣けなかった。放っておいたのは自分たちだから。とにかくじいちゃんと住んでいることが母の認知症を加速させていると言われ、引き離す必要があった。とはいえ、じいちゃんは90を過ぎていても、自分で歩き食欲もあった。

半ば騙すように、

「数日間だけここで泊まっていてね」

施設を転々として、その間じいちゃんは入居者ともめて追い出されりした。でも家に連れて帰るわけにいかないから、次を探してまた入居。体調が悪いとケアマネさんやデイケアから電話が仕事中にもかかってきて呼び出され、そのうち仕事もままならなくなって、なんで孫の私がこんなに苦労するの?って、お見舞いに行った病院で涙がたくさん出たこともある。

そんな時に、最期まで入居できることになる施設と巡り合うことが出来て、心から解放された気持ちになった。自分のじいちゃんなのに、家族を支えてくれた恩人なのに。

「よほどのことがない限り連絡しないでください」

と言っている自分がいた。皆さんそう言われますと言われた。とにかく身も心も疲れていた。

じいちゃんには、息子と二人の娘がいる。その娘の一人が私の母で認知症。そしてもう一人の娘(私の叔母)も、もっとひどい認知症。長男は数年前に家を出て行き、戸籍も抜けたのかわからないほど音信不通。だから私が身元引受人になって、じいちゃんの葬儀も喪主となって身内だけで終わらせた。

疲れ果てて、一粒も涙は出なかった。

私は今でも、これでよかったのかと考えてしまう。母の認知症は少しずつ進んでいるが、じいちゃんと離れて別人のように明るくなったことは間違いない。

でも、家族や親せきに最期を看取られて亡くなったばあちゃんと、夜中の病院でひっそり一人で亡くなったじいちゃん。あまりに違いすぎてそれを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

じいちゃん、ごめんね。帰りたかったよね。お父さん代わりにいつも支えになってくれてありがとうね。

生きている時に言えなくてごめん。天国に届くといいな。

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